モーレツ宇宙海賊 第14話

 茉莉香はわかるとして、グリューエルの変装についてあまりいわれてなかった件について。
 弁天丸クルーにヨット部が乗り込めばいゝジャンとは思いついたのだが、一度っきりの仕事にどこの馬の骨ともわからない人間を乗せると弁天丸にどんな細工を仕掛けられるかわかんないってのは思いつかなかった。自分もほとほとバカである。というか、前回の次号予告で見かけていたハロルド・ロイドが雇用された乗組員だと勘違いしていたので、それを募集活動後も引きずってしまったのだ。
 新しく雇用する乗組員に何を求めるのか?というのは、結構興味があったのだが、信頼と来て半分ズッこけてしまった。それってあらためて組織の一員になる前に信頼を獲得しとけって事なんかとツッコみを入れておきたい。おきたいんだが、しみじみと考えさせられるものがある。
 自分が高校・大学の頃なんかはコネ就職ってのは公平さを欠く審査方法として毛嫌いされていたんだが、実際この日本の失われた20年を見てみると、結構深く考えなきゃならないもんだと思うようになった。Hidden Valueの項で述べたとおり、その会社の社員の子弟を積極的に入れる事によってより信頼を強固にするという例もあれば、オリムパスのように、特定の集団の私利私欲のために経営層人事をその系統のコネだけで選抜して不正を隠蔽するって例もあり、良いコネと悪いコネとがあるのだ。特に最近だと組織の上層部は自分の経営判断ミスを他者に責任転嫁する傾向がものすごく強くて、いとも簡単に人を切るし、パワハラもするし、挙句の果てにそれがまるで正しいことをやったかのように自分の報酬をとてつもなく上げたりする。で、そういう上層部がどうやって就職できたのかというと、それは必ずしもコネの有無によらないんじゃないかとも思ってしまうのだ。
 というか、組織内政治で組織がボロボロになるかならないかでコネが良質のものになるか悪質なものになるのか決まるんじゃないのかねと思わなくもない。で、その組織内政治がのたうちまわるのを許すのか許さないのかで決まってしまうのであり、それはとりもなおさずトップのあり方に由来するんだよね。最近まで流行していたコンプライアンスとやらが凄く弊害が大きくてパフォーマンスが悪化することが多くて、なんつーか、個別の対処法でなんとかなるもんじゃなくて、もう本当にトップの人格というか力量に左右される。
 となれば、弁天丸のクルーのチームワークの良さなんてのはひとえに先代の船長がいかに手塩にかけて信頼を醸成してきたかってことにしかならないんだよね。クルー達がその技能に対して船長から指示なり報酬なりを与えられるだけの存在として扱われてきたんだったら、例えば茉莉香が船長を継いだとき、茉莉香が先代と同じことを出来なかった時点で弁天丸をあとにしていたはず。そうじゃなくて、あのクルー達は船長も含めて運命共同体になっており、船長がいなくなったときにじゃぁ新しい船長を育て上げるというところからはじめてる。こういうのは合衆国式の、いわば一つの仕事をするためだけに集められた製作委員会方式*1(ドリームチーム方式っていうのか?)とは違うよね。
 いや、なんだろ?。世襲も今の日本の政治屋を見てると悪いところしかあらわれていないんだが、企業ではなんというか、世襲というより、創業者ががんばっているところは良いところがあったりする。トヨタなんて豊田一族でないのが経営を握ったら経団連を通じて粗悪品は作るわ従業員をイジめるわで、その集大成がリコール隠し秋葉原通り魔殺人事件の招来だったりしたもんな。ホント、コネとは?と考え出すとなかなかにして深いものがあると考えざるを得ない。

*1:アニメの製作委員会方式も形式的にこれに属するんだけど、アニメーターって、割と個人的な繋がりがあったりするからなぁ。