学園黙示録 総評

 この作品のメッセージを一言で表すと、「生き残れ」なのかな。最終回の感想を書き終えて、ちょっとネットを漁ってみたのだが、最後の場面にあったスーパーマーケットでの顛末があって、しばらく休載、で、連載が再開されている模様。だから、アニメ化の時点では、最終回までのネタしかやらないことになっていたんだろう。だから、元々話の結末を示すつもりもなくって、もし続編を作るにしてもセキレイのように話が溜まってからってことなのかな。でもまぁ話が終わってなくて、どういう結末で終わるのか、その見通しが無くっても、それでも伝えうる、いや十分伝わるものがあると判断する何かがあるとして、それが冒頭の生き残れなのかと感じた。まぁ公式サイトにすらサヴァイヴァルものと銘打ってあるワケだから、そのまゝといっちゃあそうなんだが。
 で、ストパンではないのだが、その「生き残る」ための目的集団として、孝達ってのはいわば理想の職場といわないまでも組織として、そうなる過程も含めて、示されているのかなと。WORKINGではないが、この作品もメインキャラは誰もが完全な人間ではなく、むしろ欠点すら持っている。ありすですら実戦では兵隊として使えないハズなのだが、平野の支援をさせているところ、各人できる仕事は精一杯やっているわけで、欠点をもってはいるが、各人の持ち味を活かして生き残るために協力し合っているという構図が描かれている。
 さて、その乗り越えるべき事態としてゾンビの存在があるわけなんだが、これは何のメタファーなのか、視聴中通してずっと考えていた。背景も説明されていないし行動も単純なので現実にある特定の集団ってのを指しているとも思えなくって、すごく迷う。が、やはり元は人間であり、怪物ではない。ただし、人間の形をしているからといっても、元の人間に戻す事は不可能であって、コミュニケーションを積み重ねればいつかは分かり合える対象として描かれてはいない。相手は殺すしかないのだ。人間として、もしくは日本人としての価値観を共有し得ない相手となれば、クレーマーとかモンペとかいった人種なのかなという気がする。
 ゾンビ達は徹底的に人格ってモノが排除されている。ではゾンビではないゲストキャラはどうなのか?、いやクレーマーやモンペ体質のもいるではあるが、やはりそれは作劇上の問題かなと思ってみる。ゾンビの一人一人にももちろん人間としての背景もあるはずで、救いうる可能性も全く無いわけではないのだろうが、なにしろゾンビは大量に存在している。一々ゾンビたちに感情移入させてしまったら、話が一つも進まなくなってしまう。ちょうどいい例として、今視聴した作品ではセキレイがそうかな。MBIのタワーに駆けつける皆人の前に立ちふさがった、ボーナス目当ての弱小葦牙の皆様方の各事情をを無視するという構造に近い。
 まぁ人格のあるキャラであっても、やはりクレーマーやモンペ体質のキャラはやはり噛み付かれてゾンビ化しているから、ゾンビになりやすい人間ってのは物語中でもそうだと示されているような気はする。まぁ同じ人間の姿をしていながらも、自分の欲に目が眩んでこちらの言い分を少しも聞こうとしない姿ってのは、現状一番近いのはやはりクレーマー・モンペなのかなと。まだ外国人のほうが、習慣や価値観が違うだけで、相手の立場を理解して棲み分けが可能であるという余地が残されているが、クレーマー・モンペはむしろ民族・人種としての価値観が同じのハズなのに、人間としてわかりあうことが不可能であるって点が妙にこの作品のゾンビと一致している。いや、佐藤大輔がゾンビはクレーマーやモンペのメタファーであると考えているなんて可能性は低くて、また、ゾンビがなんのメタファーか視聴者に当ててもらおうとも思ってもいないだろう。が、数年前はだいたい主人公たちの倒すべき敵ってのはもれなく自民盗的なるものという属性が付与されていたのに対して、そういや最近の作品はそういう色のついた敵がほとんどいないなぁとある意味感心する。でも、空き菅政権のやりくちを見ると、そろそろ「あたかも自分たちの味方のフリをして、実権を握ると裏切って人を切り捨てる」という敵がバンバカ出てくるような気がしないでもない。
 あぁ、なんかゾンビは何のメタファーかで随分長くなってしまった。で、一旦総評を打ち切ることにしたい。