しゅごキャラ! 第45話「がんばれ!誠一郎!」

 桃色日奈森。
 誠一郎、Jになるのかと思ったら違ってた。というか鈴木に女をあてがって、メインストーリーから外すって算段か?。鈴木はさしずめ亜夢の服についた埃で、畠中はそれを取り去るガムテープか。
 っつーか、オンリーワンすら否定かよ!と言うこともできるんだけど、実は大人になってもピアノを弾きつづけたい、それも周囲の評価を気にするのでなく、自分の楽しみのためにってのは大いに同意だ。確かに山吹のように独り善がりではまずいとは思うんだが、まぁ山吹は他人に迷惑であるのがダメなだけ。あんまり下手すぎても横好きにもほどがあるだろうが、そのへん作中畠中は下手ではないというのを示していたのは細やかではあるわな。…合唱はそういや声優じゃなくて、ちゃんと児童合唱団を使っていたような。
 これは趣味の方向性というどうでもいいことではあるのだが、これからの現代人の時間消費もしくは余暇、うーん、豊かな過ごし方とは何か?ということにつながるんだろう。根源的にそうなっているのか?と言われると、考慮の余地はありすぎて困るぐらいなんだけど、現代は産業革命による生産性の向上で、人間が生きるために働くということに、物理的に縛り付けられなくなったといっていいかと思う。日本ですら江戸時代ぐらいまでは農業にかゝりきり、あとは飯のしたくだのやっているとそんなに自分の時間は持てなかった…と言いたいが、本当に江戸時代が生きるためにひっきりなしに農作業で一杯一杯だったか?と言われると、まぁ実はそうでもなかったりする。
 しかし、やっぱり農業を生業としているからには、楽器の演奏だのというのは特に経済的、身分社会的にもほとんどの人が無理だった*1わけで、現代のように一般人が余暇の時間を使ってほとんど小さいときから訓練を必要とし、初期投資もバカにならないピアノの演奏技術が万人にとってそんなに不可能ではなくなってきたという傾向はあるだろう。いや、なんつーか第三次産業に従事して、人間関係のストレスに時間のほとんどを費やして、自分の時間もほとんど無く低賃金労働に従事している人もたくさんいて、これまた何が豊かなのか?頭を抱えなきゃなんない事態が今まさに生じてもいるわけだが。
 そうであってもやはり、先進国では経済的ゆとりもあるわけで、昔のように子供が親の手伝いをしながら仕事の技術を磨いていくのに精一杯で他のことをやる余裕なんてないし、そもそもそういう選択肢を選ぼうとすら思わないという時代とは違うというのには頷いていただけるであろう。スポーツもそうだが、ある程度コーチング技術も発達し、本人のやる気さえあればある一定以上のレヴェルには達することができる時代にはなっている。
 そんな中、時間をそういったことに使えるというのは、やはり日本の経済成長がほとんどの国民にそれを可能にしたわけではあるが、歴史的に見てもかなり稀ではある。そして、むしろ音楽を生業とする、もしくはコンクールで1位を取るというのは、一見否定のしようの無い素晴らしいことだと考えがちだが、それを目指す者の大部分は、その評価などで喰っていかなくてはならないという厳しい競争があるわけで、これは技術が優れていようと、他人の支持をいくら得ようと、音楽自体がアーティスト自身の心の豊かさにつながる*2か?と言われれば、そうでない場合のほうがかなり大きいのではないか?。自分が満足する音楽を作り出したとしても、それが売れなきゃ喰えないわけであり、自分が嫌だと思っていても他人が賞賛する音楽を紡ぎだしていかなくちゃならないわけだ。それが自分の考える音楽と乖離すればするほど、苦しくもなってくるだろう。ただ、自分が満足すれば他人がどう思おうともいい音楽というのは独り善がりというのはそうだし、他人との擦り合わせによって作られる音楽は、万人に共有される文化になりうるわけで、何がいいとかいうのは難しい。
 ただ、やっぱ趣味として自分が楽しめればそれでいいというのは、追いつめられない分やはり贅沢な時間の使い方といえると思う。ある意味時間の使い方はまったくオタクと一緒なのであり、ここらへんいろいろ考える余地はあるだろう。ピアノを頑張るというのは的外れで、言わば仕事に追いまくられずに自分の時間を確保できる人生を如何に獲得するか?もしくはそうなるまでにピアノへの情熱を如何に失わずにいられるか?というのが重要なポイント。もちろんそれを許容する家族を如何に獲得するか?ということのほうが、畠中の夢の実現のためにははるかに重要だろう。
 うーん、どうだろう?。やっぱこういうエピソードは、この作品の性格からいうと確かに事件性を重視しなくちゃなんないので、こういう流れは適当だとは思うんだが、何か引っかかる。本人はささやかな願い程度であったわけで、クラス代表になって山吹に目をつけられるって展開は激しすぎるというか。そもそも個人的な趣味に他人はでしゃばるな…だと思うし、人知れず行っていた趣味がなんかの拍子に見つかって、そういうあり方もいい*3ジャン…というので終わると思うんだがな。自分の趣味という私的なモノと、合唱コンクールという公的なモノとの擦り合わせってことなんだろうけど、現実の大人がいい見本を示せてない場合があまりに多いような気もするしな。でも畠中を救うというよりは、山吹を調伏するほうがよっぽど生産的だと思うんだが、さすがに物語的にそういうのは難しいんだろうな。
 しかし、ミキの出番かと思ったら、ランのキャラチェンジとは。確かに畠中のアドヴァイス通りではあるんだが。

*1:やっぱ難しいわ。山奥の田舎のように頻繁に人の出入りが無かったところでも、祭りがあればお囃子もあるわけであり、専門職をそのたび呼んでいたとも思われない。やはり村人が各々何らかの役割を果たしており、そりゃ楽器の担当の家系なんかもあったろう。楽器の材質は経済的な竹が多いし、太鼓にしたって大きい胴は高いだろうが、決して作れないものでもなく、構造も単純でどこにもあった楽器だしな。日常と音楽や踊りなどの芸能が、どれだけ職能民が受け持ち、どれだけ一般大衆が受け持っていたのか割合なんて正確なところはよくわかんないや。

*2:認知欲求は満たされるかもしれないが、それは音楽そのものがもたらしたというものでもないだろう。

*3:おまえの夢はおれの利益にもなるから頑張れ、俺も応援する…というのではなく、お前の夢は素敵だが、おれの利益にはつながらないから勝手にやってろという類のもの。