只今、昭和天皇の終戦史 (岩波新書)読書中。

 まぁ、なんというか、お上とやらの無責任体質が治らないのは、天皇がその範を示しているからといわざるを得んな。

 p33終戦詔書に関して

 この時、高松宮は、海軍省軍務局次長の高田利種少将に、「詔書の中に、天皇が国民にわびることばはないね」と語ったというが(『昭和史の天皇30』)、たしかに詔書では天皇自身の責任について何の言及もなかったのである。

 まぁ今の政治屋や政府発表のあり方そのものだよな。今もんHKラジオニュースを聞きながらタイプしているが、派遣で雇用環境を破壊したことや、ゆとり教育で失敗したことをわびる政府関係者は一人もいない。そりゃそうだ。天皇が国を滅ぼしても、一言もわびなくて済んでいるんだからな。

p34近衛文麿の発言より。

 自分としてはこのまま東条にやらせるほうがよいと思う。〔中略〕それは、もし替えて戦争がうまく行くようならば当然替えるがよいが、もし万一替えても悪いと云うことならば、せっかく東条がヒットラーと共に世界の憎まれ者になっているのだから、彼に全責任を負わしめる方がよいと思う。米国はわが皇室に対し奉りいかなる態度をとるか不明なるも、〔中略〕個人の責任即ち陛下の責任は云々するかも知れぬが、皇室と云うが如き観念は彼らには少いし、加うるに東条に全責任を押しつければ幾分なりとその方を緩和することが出来るかも知れない。それが途中で二、三人交替すれば、誰が責任者であるかがはっきりしないことになる。(『細川日記』)

 これまた馬鹿にした話だ。上記の大分の不祥事でも全く一緒。下っ端に責めを負わせてお上はのうのうと逃げ延びる。アメリカが皇室について無知だからテキトー言ってごまかしとけという部分は、現代でも「どうせ国民は無知なんだからおためごかしでごまかしとけ」というのと一緒。
 まぁ日本の伝統芸は、いみじくも昨年総理大臣が政権をほっぽり出したように、また、終戦時には天皇がそうしたように、“無責任”というのが一番世界に胸を張って言える正真正銘の日本の所業ではあるよな。責任者ほど無責任であるという。