あんまり相撲に興味はないんだけど。

 弟子をいじめて死に追いやるって例の事件。相撲は一時期若貴ブームがあって、そのとき職場でも盛り上がったんだが、自分の中では千代の富士全盛期でもう終わってる。モーニングで「ああ播磨灘」が流行っていたこともあって、その中の台詞「土俵のあのわっかの中では相撲が最強の格闘技」というのがあって、なるほどとは思っていた。そりゃ自分の身体を鎧にして、体重で押し合うってのは究極の物量作戦だわな。そこに頼らないで技を極めようとしていたからこそ千代の富士の存在意義があったと未だに思っている。
 ただ、勝負自体は昆虫ですらやっている縄張り争いっていう、極めてプリミティブな形式の格闘技。海外で言うところのボクシングにあたる。日本では確かに神事に使われるほど神聖でありながらも、やっていることはきわめて野蛮である。というか本来の姿が野蛮であるからこそ、スポーツ化にあたってはストイックさが過剰に求められるし、公正さがかなり重要になってくる。人間の野生と理性のともに矛盾しあう二つを最大限要求されるスポーツなんだと思う。海外のボクシングよりはかなり理性に偏っていると思っていた。つーか、土俵自体を神の降りる場所とまで既定している相撲の神聖さと、別に神の存在なんてはなっから考えられてないボクシングとは気の使い方が違うと思っていた。
 プロレスもそうだが、相撲だって基本は観客との対話なんであって、プロレスが社会の不条理に勝利するパフォーマンスだったからこそ、やらせであることを承知の上で人気があったわけだし、相撲だって別に日本人的予定調和というよりは日本人の同一性の象徴なわけで、そこに自由競争的なバトルロワイヤル的要素が排除されてやらせを見せられているのだとしても、観客は納得の上のことだから何の問題もない。金星が出ると座布団が舞うが、あれは決して金星を挙げた力士を褒め称えるというのではなく、横綱へのブーイングという意味合いが強いというのも、そうなんだと思う。まぁ卵焼きがポピュラーになって何のありがたみもなくなり、巨人というよりもう野球というスポーツが飽きられ、次の相撲が没落する番だとしても何の不思議もない。人間の体の改造度からいえば、どんなスポーツより極めて不健全なのであって、むしろ廃れるってのは社会として豊かになったという証拠だろう。
 東京辺りの人口の多いところでの相撲興行がその場ではそれなりの盛り上がりを見せたといっても、地方では祭りの一部であって、地元の力自慢の年一度の晴れ舞台という役割ぐらいしかなかったわけで、国技といわれればそうだが、世界的には全然有名でもなんでもない剣道より競技人口は圧倒的に少なかったと思われる。大衆に熱狂的に受け入れられるのはメディアの発達を待たねばならず、生きるのに精一杯だった時代は、身銭を切って趣味に走るというよりは、観客として他人の業績に一喜一憂することしか娯楽がなかったわけだ。で、貧しい時期に圧倒的人気を誇ったというのは、スポーツとしての面白さというより、力士の太った身体、もしくは力を誇示するという「豊かさ」ではなかったか。
 だからこそ部屋制がとったスカウト方法は、全国を回って「力士になれば腹いっぱいちゃんこが食える」というものであったわけで、そこに動機としてのスポーツ性がそんなに大きな割合を占めていたとも思われない。だが、もともと神事であるからこそ、欲望の限りを尽くして好き放題するという姿を衆目に晒すわけにもいかず、土俵だけでなく私生活でもストイックさが求められる。食ってばかりで動かないからそんなに太るんだと言われないために厳しい稽古に耐えなければならないし、太っているという豊かさを晒している以上、けち臭い態度をとるわけにもいかない。そりゃやってるほうは競技として楽しくもないスポーツをやり、しかも過剰の抑制を求められるわけなんでストレスも溜まるわな。
 だからこそ体育会系的要素が強いだろうし、それが延々と続くわけだ。昔は中学・高校を卒業した人間が部屋入りしていたのが、最近は大学相撲の経験者ですら入門希望が少なくて困っているらしい。相撲関係者でも年配の人は当然入門当時からのイジメに耐えているわけだろうし、それでもなんとか自分たちのスポーツを盛り上げようと気ばかりかもしれないが、苦労はしていたはずだ。で外国人力士に大幅に頼っているのが現状なんだろう。自分が幼い頃にはハワイ力士が多かったが、アメリカの僻地に豊かさが届くとさっぱりで、最近は極貧の地と思われるブルガリアなどの東欧、ロシア、モンゴルと、やっぱり食えない土地に住んでいる人をたらふく食えるということで釣るスカウトなわけだ。
 まぁモンゴル人が耐え切れないというのも無理もないと思うが、なにより組織の構成員の中でもバカが先行き見えない不安で弱者にあたるという構造は、確かに許されることではないが、心情自体はわかるような気がする。人殺しは許されないが、多くの相撲関係者を叩くことだけはしたくないと思っている。
 で、延々続いて本題は別なんだが、文部省のシャシャリ出具合ってどうなの?。角界の構造的不況を何とかするために何か一つでも役に立つことをやってたのか?。やってないだろ!。相撲協会がある程度ストイックな団体とわかっていて、報道を大々的にして逃げられないようにしてからここぞという時に口出しって何よ。もう、「文部省はイジメを許しませんよ」というパフォーマンスを示すために、相撲協会をダシにしたとしか思えないんだが。もう文部省お得意の「ヤラセ」そのもの。今回相撲で許されないことをした関係者は、角界から永久追放ということだが、ゆとり教育を推し進めて学力低下を招いた文部官僚を永久追放するほうが先だと思うんだが。もちろんゆとり教育の旗フリをやってどこかの大学教授だの韓国関連の団体への天下りなんて当然無しの方向で。