FLAG 第7話 再始動

 久しぶり。
 うーん、時間を空けてあらためて見ると、何で旗ごときにこだわるのか、わかるようでわかんないという感じです。生活のために必要なものは何か?と考えたときに、理念や象徴より、なにより食うもんだろうという時代になっているんだろうと思う。
 日本のODAも、日本のゼネコンに金が落ちるだけという批判もあるが、そうであるにせよ、現地に残った道路や橋は確実に役に立つわけで、道路事情の悪い奥地にガソリンで動くような機械を押し付けるのと違って、それなりに意味のあることだと思う。非政府組織や某巨大掲示板でも、学校のない僻地に小学校を建てるという運動があって、ソフト面の問題もあるが、プラスであってもマイナスではない厚意だと思う。
 もちろん出来た当初はそれなりに感謝もされようが、10年20年経ったときにそれなりに感謝されているんかな?と思うと、どうも反響が小さすぎるのか耳に入ってこない。
 で、国連が本当に旗というものに大枚かけて奪還をして、それで紛争が解決すると思っているのだとしたら、どうにもわからんというか…。紛争の原因はなんにせよ利害関係であるので、そこら辺の調整もなしに、旗印の下仲良くやりましょうっていうキレイ事が通用するとはとても思えないんだよな。

 だからといってこの作品のこういう描写がいけないのか?と言うと、そんなことはない。現在ではそういう風潮も薄れたんかな?と思うんだけど、そもそも日本人は海外ニュースで飛行機が落ちても、日本人の安否だけ気遣う報道で、そもそも日本人の感性として自分のことしか考えないという風潮が長らく続いていた。そういう人種に難しい紛争の設定を施したところで、理解不足で視聴を切られてしまうのがオチで、わかりやすい見せ方をしなくちゃなんないということなんだろう。現地で2勢力をいがみ合わせて国連が調停するってだけで3体問題になるので、現地武装勢力と国連の二項対立にして極力視点を減らす努力をしている。まぁたしかに興味のない外国で複雑な利害関係を示されても、何が問題なのかさっぱり日本人には理解できないってことになるだろう。
 だから簡単にしたという部分もあろうが、実際にアメリカのソマリア侵略、アメリカのアフガン侵略やアメリカのイラク侵略*1に見られるとおり、国際調停機関という名の暴力機関という構造は現に存在しているので、題材の設定にそんなに妥協があるわけでもないとは思う。もちろんロボットを出すのも視聴者サーヴィスだろう。ゲリラ戦術の発達した現在、あんな大掛かりな機械を秘匿するなんて無理だろうしな。
 さて、今話だが、現地のジャーナリストとか基地の多国籍ぶりの表現はあんなものかな?という感じですかね。自分自身が貧乏旅行しかしてないので、情報に金を払うって経験がないのですよ。日本人のストイックぶりを他の国の人間がそれなりに理解しているってのは判断に迷うんだけど、アメドラ封ではあったので、メディアに晒すには無理はないと思う。

*1:考えてみれば、現代のコロニアリズムの主犯は全部アメリカだな