「翠星石のギャルゲーですぅ」を読んでいた。

 ネタなべ。(・ω・ノ)ノ 翠星石のギャルゲーですぅ 最終章
 某巨大掲示板の名スレ抜粋サイトさんのネタ。どこで紹介があったのか既に忘れているんですが、もう目にした時には該当スレはなくなっていて、まとめを待つばかりでした。もしリンク先に飛んで興味を持ったのなら最初から目を通すことをお勧めしたい。
 ゲーム自体はインベーダーの時代からやってはいるのですが、ギャルゲー自体は社会人になってからかな?。アドヴェンチャーゲームからの派生で発展してきたのだと思うんだけど、紙芝居ゲーとしては、サウンドノベルというジャンルが出てくるにつれ限界が早くも現れたのだと思っている。結局ストーリーを消費するという行為に、選択肢が必要なのか必要でないのかというところに尽きるんだろうな。小説でもゲームブックというのがあったが、今見渡してみると紙媒体では全く廃れてしまっているというのはある意味結果を表しているんだと思う。
 話が逸れて申し訳ないが、まぁここは私の日記帳なので我慢できない人は飛ばしていただくとして…。
 物語をゲーム形式にすることで、メインストーリーの裏でそれを支える裏エピソードが選択できるってのはある意味幅が出るということなんだと思う。あの事件の裏でこんなことが!という驚きに触れることは確かに評価すべきなんだと思う。そして、裏エピソードはまた、その立場にたってみればメインエピソードでもあるというアンビバレンツという構造を提示するというのも、テキストの娯楽性の幅が増えたと言っていいと思う。
 ただ、自分もある程度ギャルゲーをやってみて感じたことなのだが、とにかく作業としてゲームの進行がやたらめんどくさいのだ。別ルートを開拓していくことで新しい発見があって、それが今までのエピソードと繋がり合っていることには感心するのだが、とにかく一つのシナリオをやり遂げるのに大きな壁があるようで、若いときならともかく、ある程度年をとってしまうと仕事の関係上時間を取りにくいときはゲームをやるという意欲さえ湧かなくなってしまう。
 友人にとあるゲームを勧められたのだが、結局ゲームはやらずにそのノベライズ版を読んで満足してしまった。もちろん小説を読んで登場するメイン以外のヒロインも、ゲームの中では別ルートとしてテキストを楽しむことができるというのは頭の中ではわかっているんだけど、じゃぁゲームを買って、その作品世界を堪能し尽くすという気にまでにはなれなかった。好みの問題もあろうかと思うんですけどね。結局私の得た結論は、自分にとって小説で充分ということなんだと思う。
 で、今んところ作品世界を共有するいろんな種類のヒロインを、自分の好みで選択するってのがゲームにしろ娯楽作品全般の流れになってきているんではなかろうか?。たぶん同人界である作品のサブヒロインをメインに見立てて二次創作をするという行為が市場として成り立ってしまうという状況から、物語中のキャラクターを消費者が選択できるということに価値が生じたということなんだろう。
 もちろん提供者の側も手間隙かけてメインキャラクターを作りこんで、それが市場の支持を得られないというリスクを負うよりは、いくつかのキャラクターを提示して、受け手の側に好きなものを選択してもらうというほうがリスクが小さいということだと思う。受け手の側はいきなり一品モノを強引に勧められるよりは、他のものと見比べながら自分にあったキャラクターを選択するほうが心理的にも壁が低いだろうし。同じ世界で共存しているだけに、自分のお気に入りはお気に入りのまゝ支持をしつづけるにしても、他のキャラクターの動向も同時に観察できるので、自分の興味の幅を広げることもできる。どうせ世間の支持ってものはそんなに変わらないから、既存のキャラクターを多少カスタマイズするだけで物語は作れちゃうし、それが鉄板になることも可能。独創的なキャラや発想があっても、いきなりメインにしなくても物語中に仕込むことでリサーチできちゃうし、ある意味賢い商法と言えなくもない。すべてが新しいものだと拒絶されやすいが、少しずつの変化なら受け入れられやすいし、自分が間違っていれば軌道修正もしやすいってことですかね。
 しかしヒロインを並列して選んでもらうってのは、やっぱり安易と思われても仕方がない。でも今のところそれが商売として手堅いってのも事実なんだろうな。つぐみ寮で、トリのヒロインが生徒会長でメインヒロインか?と思ったのだが、どうもアニメとしてのこの作品は単純に6人のヒロインを背景だけ一緒にして単純に6本の作品の詰め合わせにしたという構成なんだろう。あるヒロインのエピソードが他のヒロインのエピソードに関連しないわけではないんだが、別物と見るべきなんでしょう。
 ローゼンメイデンもそういう構成だと見ていいんじゃないかな?。ではあれは真紅のストーリーなのか?、それとも翠星石蒼星石か、雛苺金糸雀水銀燈など、視聴者(読者)が好きなドールを選んで楽しむストーリーなのかといえば、それは違ってあれはジュンの物語ではあるんだけど、まぁそういう傾向はあるのだろう。普通ジュンを支える真紅がメインヒロインなのに、なぜか翠星石が結構な人気を誇っているのもそういう世の中の動向があるからだと思う。
 そして、話は元に戻るんだが、掲示板形式でこういう楽しみ方ができるってのはなかなかに面白い。ゲームとして作りこまれているわけでもないし、仮にこれがゲームになったところで面白いものになるのかといえば、そこの浅いモノになるんじゃないかと思う。でも提供者の側が、受け手の動向を見ながら、うまくコントロールして話をすすめていくのは幸せな状況だったんだと思う。演者と観客が一体となってやる漫才のようなもので、一歩間違えばスレが炎上する危険性もあって、悪ノリがないわけでもないんだが、それはある一定の範囲内で収まっていて、だれもが場が荒れないように気遣っているってのが素晴らしい。たぶんこれがカレイドスターでいう“そら”の理想形なんでしょう。
 あとはそれが全部匿名の参加者で成り立っていること、そしてそれを外部で眺めていて(ROMって)も楽しめるってことでしょう。内容的には普段の会話を他人が聞いても楽しめるって状況で、大きな構造的には別に新しくも何ともなくて、その範囲が拡張されただけってことなんでしょうけど、まぁ時代は進んだなぁという感想ぐらいは言ってもいいんじゃないかと思う。さすがにゲームの新しい形態だともまでは思いませんけどね。