こいこい7 GyaO視聴

 見事な投げっぱなしぶり。
 なんだろ、この空しさは。最近の女の増長振りにも困ったもんなのだが、かといって男のあり方もいままで酷かったわけでして、そんな中でやたら権力を振り回したりせずにもっとやさしくなれってメッセージが込められているんかな?と思ったりしていた。それはもうひとつのもりしげアニメ化作品である花右京もそういう感じかな。
 もう一つの点として、わりと日常ありがちなトラブルやら社会問題なども描きつつ、まぁ応援歌的な描写なんかもあったとは思う。しかしまぁドタバタと記されているあたり、原作の設定をある程度はふまえつつもエロパロをスタッフが楽しんで作っているという感じが強くした。
 キャラの掘り下げが十分でないとか、そもそもなにが言いたかったのかさっぱりわからないところなど、批判するべき点は挙げられはするのだが、ではどうせもぎ取ってきた予算は1クールぶんだろうし、そのなかで原作は終わってない、キャラを掘り下げたところで次の展開に持ち込みようもないというのでは、仕方がないだろうとは思う。むしろどのようにアピールしたらこのような作品をつくる企画を通すことが出来るのか?というほうに興味が湧く。
 実は花右京なんかは原作の同じ部分をわざわざアニメで作り直すなんてことも不可解に思っていた。第一期では主人公の設定を改変していたために、第二期では原作に近い設定で作り直すということをやっていた。第一期はあまりのバカさ加減に某巨大掲示板でもくだらない作品の一つに上げられるぐらいだったと聞くのだが、自分なんかはむしろ第二期で作り直しなんかせずに、そのままの設定でもいいから続きを作って内容を深めて欲しいと思っていたぐらいだ。なんで無駄なことをするのか。
 この作品はもう原作も終わっているし、第二期がつくられるなんてことは無いとは思うのだが、ではこのクールを通して何を受け取ったらいいのかわからないことに戸惑う。原作者は自分の作品のキャラクターがこんな扱いをうけるということをどのように思っているのか知りたいぐらいだ。というかスタッフが深いテーマを隠していて、それを読み取れないだけなんだろうか?。メイドが流行しているから花右京を、女で構成される戦隊もののパロが受けそうだからこいこい7をつくればウケそうなんて考えでアニメ化されたんだろうか。まぁカタいこと言わずに萌えの記号に浸れってことなんでしょうけどね。
 GyaOでは21日正午まで全話公開。最終話の突き抜けっぷりにはついていけなかったが、全編を通じてストレスを感じながら視聴ということは自分はなかった。でもわざわざ時間を割いて見るほどでもないような気はする。普通。