いきいきホットライン

 定年で辞めるかどうかの話。そもそも定年は契約時にそのときで解雇しますよという約束なわけで、その後もその会社で働きたいというのはちょっと題意に沿っていないんではないか?とも思ったが、そういう投書は少なかった。以前団塊用に定年延長云々の法案の紹介をいたしましたが、そっち方面には話が進まなくてほっとした。自営業にも定年があったらいいなという投書もあったが、やめたいときにやめれば?というので片付いていた。ゲストの方がお題に忠実だったせいか、大きな盛り上がりみたいなものには欠けたきらいがある。ゲストは露出馴れしていないっぽくて、心穏やかに聞けたのはポイント高かった。
 今日のポイントはやはり労働による社会参加で認知欲求の充足という視点があってげんなり。もう終身雇用が崩れたといわれて久しいし、まだ終身雇用を採用している会社があったとしても、そんなに会社に尽くすという考えはだいぶ少なくなってきていると思うのだがどうだろう?。退職後も労働によって社会に貢献したいという心がけは立派なのだが、人を蹴落として出世したような人間が、それまでのコネを利用して利害調節によって仕事をするようなことがあったら本末転倒だと思う。権力欲が旺盛で部下や下請けをこき使うということ自体が社会貢献とは程遠いことなのに、そういう感覚で退職後も仕事に取り組まれては現役世代が困りまくりではなかろうか?。もちろん世の中人間同士が助け合って暮らしていくものだという前提のもとに、ストレスの少ない仕事を無理なくこなしてくださる分には微笑ましい限りなのだが。どうにもシニアとよばれるようになった世代が、せめて退職時にはこころよく送り出してもらいたいと願っていたようなのだが、それはその人の会社の中での仕事の仕方によって評価が決まるもんなんだから、人を傷つけるような仕事をしなければ良いだけのような気がしてならない。
 最後のほうの投書に団塊世代は集団になってやりたい放題やってきたから、退職後はせめて個人主義で暮らして新しい境地を開いていただきたいというものがあった。どうもこの投書は選択した人が意味を取り違えたっぽい。別に団塊の全員がだめだというわけでもない。語源の団塊というだけあって、同年齢の同僚がやたら多かったために、少ないポストにありつくためには人に気を遣ったり融和を図っていたりしたのではダメで、とにかく人を出し抜くようなことをしないと出世しないというのが悲劇だったのだろう。後先のことを考えたり、後進にノウハウを伝えるような時間があるのだったら、そういう時間を使って人を蹴落とさないと自分が蹴落とされてしまうという環境だったのだろう。人のいい団塊は出世レースに出遅れてしまうわけで。まぁいうなれば、「いい団塊は死んだ団塊だ」というとても笑い話にならない現実があるのでは。マスコミに露出する派手な経営層がやたら欲でギラギラしているのもそういうことなのではないか。そういう人間は人を蹴落としてカーストがあがることが社会に認知されることだと思い込んでいるので、それを社会貢献といわれたところであきれるほかない。迷惑な人はとっととリタイアしてください。そうでないひとも、いままでの冷や飯体験を忘れてせめて老後はのんびり過ごしてくださいと思ってしまうので、どっちにしろ仕事による社会貢献はあきらめてもらったほうが全体のためになると思うのだが。