史上最強の弟子 ケンイチ 第6話「梁山泊での一日!屋根の上の夢」

 うーん、このざっくり感。
 面白いんだか退屈なんだかわかりゃしねぇ。なんの冗談だ?という台詞も多かったし、特に目新しいと言うわけでもないんだけど、それでも頭の奥にぼんやりしたものを抱えながらも見続けさせられる魅力はあると思う。難しい話で、そもそも武術モノは昔からあるし、成長モノも昔からあって、それこそ青春と絡めるというのも設定としてありふれているわけで、その中でいかに視聴者を飽きさせないように作るってのは大変なことだと思う。その工夫が普通は師匠一人に弟子たくさんの構造の転倒であり、主人公の家族で言うところの役割転倒でもあるわけなんだが、違和感を感じさせない不思議さを併せ持つ。いわば「オレはこんなところを工夫しているんだぞ」という妙な自己主張があんまり感じられない。今回も普通のスポ根なら悲壮感を持って特訓をするとか、ラグナロクと対戦しないから適当な休み回であってもいいんだけど、主人公のケンイチは弄ばれながらも特訓はしているし、だらしなく鼻の下を伸ばしているだけでもない。まぁ肩肘張らないで成長しているわけなんだが、なんとなくある構造が見えてくるようでもある。
 まぁ今までのスポ根ものが、成長をしながらライバルに勝つという構造ではあるのだが、結局突き詰めれば人の足を引っ張った末に自分が優勝というか一人勝ちするのが結論であったわけで(もちろん今までにそうでない作品はあるのだが、とりあえず先駆者が誰かについてはおいといて)、この作品は勝てばさらに強い相手が出てはくるのだが、決して勝った相手を格下というか負け犬扱いはしないんだよね。それで自分が武術の権威的ポジションに立つわけではないわけだ。師匠たちは一番を目指せなんて言ってはいるが、ケンイチにとっては障害をはねのけるための力はほしくとも、たとえば空手世界の第一人者になることには全然興味が無い。で、園芸とか直木賞とかいっているわけだ。拳法を極めても、他人を蹴落とす手段として活用するわけでもないわけで、じゃぁ誰も喧嘩を吹っかけてこなくなるだけの防衛力を身に付けてしまったらケンイチは次どうするのか?というところも出てくるわけで。まぁ拳法を極めることが今の彼にとってはそれ自体が目的ではないし、かといって何かを達成するための手段でもない。ただがむしゃらに弱い自分から脱却するためにわけもわからず努力だけしているわけなんだが…。まぁ少年期というものはそういうものでもあるわなというのもアリではありますが、そこらへんもしかするとスタッフは何らかの答えを用意しているのかもしれませんが。
 どうなんだろう?今日は喫茶店でサンデーを読まなかったけど、別に意識して読まないようにしたわけでもないんだが…。まだ連載が終わるようでもないだろうし、それこそ大げさな結論が用意されているべきとも思わないんだよな。実際のところ。