コードギアス 反逆のルルーシュ 第8話「黒の騎士団」

 おぉ、こいつは気持ちがいい。
 すべては黒の騎士団のお披露目のためという結果になってしまったが、どうやらゼロにとっては河口湖のアクシデントは想定外のよう*1でした。もうちょっとだらだらするのかと思っていたので、この繰り延べ(構成上の工夫)は嬉しい。
 しかしなんだなぁ、以前も述べたとおり直後の予測がしやすいよう情報を小出しにして視聴者の意識を釘付けにする方法には舌を巻く。かといって開始早々(今回に関してはゲットー→遠足→貴族仕様キャンピングカーぐらいまで)からは決して結末を予測は出来ない構成がまたうまいのですよ。それはよくよく考えれば扇動という手法の一部ではあるのだが。だから後から構成を振り返ってみると、物語がドライブしてからは次々と事態を流して決して視聴者に後を振り返らせる間を与えないっていうのはよくよく考えると恐ろしい話である。かといってこの作品のそういうやり方がいけないというわけでは決してなく、むしろ後を振り返る間なんて作っちゃったら、この作品の持つダイナミズムが台無しになっちまうだろう?ということで。そういうことではスタッフのコントロールされた勢い作りには賞賛を惜しまない。
 ゼロは堕ちた英雄扱いをしてくるのかと思ったら、下支えがしっかりしている感を得た。ギアスの力を使ってたやすく人を殺しているようにも見えるんだけど、相手の殺意をきちんと確認してから殺しているわけね。まぁそれもギアスの力というファンタジー要素が肝になってはいるんだけど。ゼロがどんどん周囲(ブリタニアにすら)に貸しをつくっていくところは変に感心してしまった。決して表立っては行動できない後ろめたさを持っているのに正義の味方はねぇだろ!というのが少女的な戸惑いにまで昇華されてカレンに表現されていたのは私的な見所でした。
 スザクくんはいいとこなしでしたね。組織内部から変えるってのは確かにしっかりした考えのように思わされるんだが、日本の歴史をよくよく振り返ってみたところで、組織変革は中興にはなりえても組織腐敗の大きな流れを変えたことは一度も無いような気がする。しかも明治革命以後、WWⅡの敗戦では組織変革の中心が日本人ですらなかったわけで、戦前戦中の腐敗構造が決して死ぬことなく今の今まで生き残っているということはあまりに多くの日本人は意識していなかったことなのではないだろうか?。そう考えると、この物語は反米というよりは自己変革を促すというのが大きな主題になっているような気がするんだが、やっぱり気のせい?。

*1:という設定