ちょこッとSister 第20話まで

 フェチ度大幅ダウン。
 猫畜生のお話で号泣したよ。去り際にちょこを振り返るネコの目で、猫の行動の意味も結末も予測させるスタッフに大いなる乾杯を。十分な間が確保されているので、登場人物達の台詞の意味をじっくり考える時間もとれるし、それぞれのシーンに浸る余裕が取れておりました。ストーリー部分は多分雑破業が一人で切り盛りしてるんだろうけど、他の部門との連携がたぶん十分に取れているんだろう、現場はかなり大忙しだろうけどこういう仕事をしてみたいよね。
 オダエリの立ち直りは、決して自分での仕事のとらえなおしをした上でのものではないんだろうけど、駆け出しの1シーンとしては秀逸。ネコのストーリーではちょこに無償の愛を注ぐ母の役割が受け持たされている模様。ここに来て各話がかなり細切れになってきてるんかいな?。後半の擾乱要因であるゆりぴょんの紹介も馴れも終わり、レギュラーメンバーによる各論に入ってるんだろうな。
 やっと最新話まで追いついた。大きな流れが二周りほど終わったところで、いわゆるチョコシス節が確立した段階まで集中して視聴できたのは偶然ながら美味しい。全体を俯瞰してみると、これからの成長しない経済での日常の過ごし方について何らかの示唆が含まれているんではなかろうかと思い始めている。まだ安岡さんの詳細が明かされていないので、彼を使ってどんなサプライズを見せてくるのか楽しみではあるのだが、つばき荘住人の肩肘張らない働き方は、高度経済成長期のイケイケぶりとはかけ離れているのがミソだ。管理人さんは不労所得気味ではあるが、住人が少ないので慎ましやかな生活をしなけりゃならないだろうし、真琴は固定ファンを持ちながらも決してスターダムに上り詰めない息の長い仕事をしつづけていくであろうし、はるまは大学生ながらも大企業向けにビシッとしたリクルートをしそうにないことから、平凡なサラリーマンをしそう。なによりたぶん今のはるまはフリーターの記号を背負っているんだと思う。決して安定した働きっぷりではないんだけど、こういう贅沢とはかけ離れた生活がいつまでも続くような錯覚を抱かざるを得ない。というか金はなくともこういう生活をずっとしていきたいとさえ思う。いわゆる宮台真司の終わりなき日常の生き方の一例がこれではなのか?とさえ思う。しかしそれは決して目新しいものではなく、昔あった生き方の再発見であるというのはなんの皮肉か?。高度経済成長期とはいえ、けっして国民の大部分は今ほど豊かではなかったわけで、(ついでに言わせてもらうと、バブル期ですら恩恵を受けたのはほんの一部の金持ちでしかなかったわけで。)そこに答えらしきものがあるというのはどうなんだろう?。昔はあたりまえだった(違うかもしれないが)生き方を現代風にアレンジして見せるというのは、自分にはそういう意図があると思わざるを得ない。
 もし自分が現時点で考えているように、この作品が終わりなき・金持ちではなくともそれなりに幸せな社会を描いていくものであれば、たぶんなにか大きな目的を達成して終わりという結末ではないだろう。まさかアパート住人のだれかが宝くじや株で一発当ててめでたしでもなかろうし、きっとはるまが勝ち組の仲間入りを果たしてよかったね!という結末でもないと思う。一視聴者として、この慎ましやかで幸せな世界をいつまでも見つづけていたいんだけど、作品としては一区切りつけなくてはいけないわけで、そこらへんの風呂敷のたたみ方が楽しみではあります。