交響詩篇エウレカセブン 雑感

 あんまり無理こ矢理こ社会問題につなげても、あさっての方向を向いていきそうで…。とにかくタクロアの視聴をしたいのですが、エウレカ感想サイトめぐりをしてみて自分なりに整理してみるので頭がいっぱい。キーワードを含む日記めぐりだと多分膨大なチェック量になりそうなのでめぼしいところだけをまわってみました。
 レントンビルドゥングスロマンについては2006-04-02さんところが秀逸でした。自分的にはホランドのポジションはずっと「兄」ではなかったかと思っております。他のサイトさんでホランドレントンとの距離のとり方に悩んでいるときにはヘタレ扱いし、仕事でスカッとしてみせると手の平を返したように持ち上げるのがなんだかなぁと思っていました。彼はレントンの実の父アドロックを知っているわけであり、彼自身アドロックを尊敬していたように見えるので、レントンの指導&理解者になろうとしながらも決して父親にはなれないことをわかっていたのではなかろうかと、今までの描写を振り返ってみてもそう思えてなりません。ましてやゲッコーステートのリーダーでもあり、なおさら周囲が見えずに突っ走った行動をしているレントンを特別扱いできよう筈もありません。ただ、チャールズ夫妻自体は違う。もしかすると他に乗務員がいたのかもしれませんが、描写されなかったところを見ると夫妻の二人だけであり、夫妻には世界を何とかしようとする動機も無く、他の乗務員のことを考えることもなく、なによりレイが子供のできない体であって、レントンを受け入れる体制はこれ以上は無いといっていいほど整えられています。まぁホランドとチャールズを比べるのはちょっとホランドにとって酷というかあまり彼に父親像を求めるのはどうかなと思います。
 そして、レントンを取り巻く状況はむしろ戦後日本映画&ドラマによく見られた構造のような気がしてなりません。戦災孤児もしくは父親が出稼ぎなどで家を空けている家庭のドラマっていうか。父親が戦死or出稼ぎで家にいない少年を祖父もしくは祖母が育てていて、近所のガキ大将といろいろありながらも、戦争でこれまた子供を無くした(もちろん子供を生めない妻でも大オッケー)知らない叔父さんが優しくしてくれるイベントもありながら成長するって、昔のドラマではそんなにめずらしい話でもなかったような。まぁこの作品のレントンの成長部分に目をやった時に目新しさがないからといって、この作品がドラマとしてダメなわけではないのですが。むしろ最近はそういうことを描かない作品が多くて、少年の立場に立って「悪いのは環境のせいだ」といわんばかりのものや、少年に不釣合いな力を持たせて社会を変革させて見せたりするものがあって、本質から目を逸らさせて自己満足させるものが多いので、この作品が放映される意義は大いにあると思うのです。ただし説教臭い。本当に信じてよいのかわからないのですがこの作品の視聴率がかなり悪かったという噂を耳にするのですが、甘ったるい作品に慣れた、もしくはお客様気分*1で視聴する層などからには毛嫌いされてもおかしくは無いと思います。
 正直この作品がロボットアニメである必然性は全然無いと最初から最後まで思っていた訳ですが、ロボットのデザインにしてもあんまりかっこ良くないと(私は)感じるのには考えがあるのではないかと思っています。バンダイ提供ながらあんまりキャラクター展開を真剣に考えていたように見受けられません。登場人物の顔立ちもどことなく野暮ったい。エウレカがかわいくないとはいわないんだけど、むしろ表情のつけ方でかわいらしさを表現しようとしているように見受けられる。だからキャラクター造形の良し悪しで勝負するのではなく、あくまで物語本体を見て欲しいとスタッフが思っているように見受けられるのには好感がもてます。ただやっぱり視聴率のことを考えると、スタッフが一番伝えたかった層にはあんまり伝わらなかったんじゃないだろうか?。そしてそれは決してスタッフの責任ではないと思います。スタッフの意思が伝わるか否かは、作品中にもあったとおり、文字通り祈るしかない。
 あと、コーラリアンが何のメタか?ということについてなんですが、「一つになればわかりあえる」とかなんとかの部分で、グローバリズムを標榜するアメリカをちょこっと想像しました。(コーラリアンという)異質なものとの共存というのもこの作品の大きなテーマの一つであったのに、後日譚でそれが描かれなかったように私には思えるのが歯痒い。もしかして月のシーン以降がそうなのか?…としてもわからんぞというのが正直なところ。まだあんまり整理できてもいないし、出来たとしても間違っている可能盛大なのでここらへんでやめときます。

追記

 コーラリアンはなんのメタ?というところで、攻撃されると脊髄反射的に抗体コーラリアンを出現させて報復を行うところなんか合衆国そっくり。

*1:ただで楽しませてもらって当然だ・嫌なものは見たくないという態度