びんちょうタン 第9話「クワガタついてるびん」

 とりあえず一段落ということですが、9話までしか視聴できない人に向けて、これまでの9話で何を伝えたかったのか考えてみるとよくわからんというのが正直なところ。最初主人公が描かれ、他の登場人物が描かれ、それらを結びつけたところで終了。単純に考えると、まず、慎ましやかだが一人暮らしの寂しさを描き、人と繋がることでどうも豊かさが増していったような気がするのですが、そういうことが言いたかったのとは思いにくい。
 思いつきでなんですが、描かれているのがすごい格差社会であるというのも胸に迫るところです。れんタンが学校に行っているのかどうか判断がつかないところですが、くぬぎタン(上流)・あろえ中流)…ここまでが修学児童。れんタンちくタンびんちょうタン下流)という区分であろうかと。下流三人組が自分の糧をすこしは自分で得ている、和服という統一はラベルのように感じられてなりません。そしてカーストの中では一番低いのが我らがびんちょうタン。みなしごに文盲というコンボ。他の子供が物質的豊かさに無自覚であるのに対し、びんちょうタンは無欲ではないものの、ささやかなものに対してもそれが得がたいものであることにかなり自覚的なのが泣かせます。以前触れましたが、坊さんの説教に地蔵に対しての慈愛を示す描写、覚えた文字でお返しをする描写には正直感動を覚えるのですが、同時に無学=虚心坦懐*1という構造が頭をよぎってなんかいたたまれなくなってきます。今回の描写で言うと、びんちょうタンに文字を教えるくぬぎタンを見て微笑ましい表情を浮かべる執事のアップ。決して微笑ましいだけでは無さそうな、どろどろしたものを感じてしまいました。いわゆる生暖かく見守るって表現がぴったりくるような。彼の胸に去来する思いを想像するとなんかぞっとすると思うのは考えすぎかなぁ?。
 カラーテレビが最新式であった当時の日本だって、あれほどまでにすさまじい格差社会だったとは思えないんですが、かといって下流三人組の生活を見ても、私はそんなにみじめに感じないのはどうなんだろう?。決して各階層を糾弾するような描写にも思えないし、かといってそれぞれの階層にはそれぞれの幸せがある*2って単純なものでもないように思えてしまいます。
 まぁうだうだ書き連ねてみましたが、単純に作画がずば抜けているとか、かわいらしいキャラクターの箱庭的戯れのみってだけではなさそうな気がしないでもありません。貧しくとも美しい世界に浸っていられるという描写ではなく、なにやら後ろ暗いモノが感じられたのはそれなりのメッセージが込められているんじゃなかろうかと。まぁ勝手にそう思い込んでいる可能性も大なんですがね。

*1:表裏一体

*2:ここで賛歌って構造にしなかったのは偉いと思います。それって自分で自分をごまかすってことに繋がっていくと思うので。もちろん場合によっては自分で自分をごまかすって行為がそんなに悪いことでもないとは思うんですが。