あぁ、わかってない…

 はてなで、http://www.hatena.ne.jp/1118818561なものを見つけました。ナウシカの自己犠牲は特攻隊に似ているそうです。特攻隊が自己犠牲?ふざけんな。実は現在の職場で私自身が特攻隊にさせられそうなのでちょっと憤慨してしまいました。そもそも特攻隊とはなにか。

 まず、特攻隊で犠牲になった方々のご冥福をお祈りいたします。

 そもそも特攻隊が戦術上必要だったかということについては論をまたないと思います。本体もろとも敵に突っ込んだところで、搭載している爆弾よりほんの少しだけ多い威力でしか敵に被害を与えられません。航空機自体のコストが高く、爆弾と燃料だけの消費で済む爆撃よりコストパフォーマンスが悪い。爆撃に比べて命中率が上がるのかといえば、実は搭乗員が未熟だったために効果はほとんどなかったとみていいでしょう。実際に戦局は打開されませんでしたし。コストの面で言えば実は搭乗員の教育に圧倒的に時間と金がかかります。航空機や爆弾のコストとは比べ物になりません。別に人間の命は地球より重いとかいうキレイ事ではなく、本当に金と時間がかかるのです。民間機のパイロット養成を見てみればわかります。軍用機に乗せるために運動能力も判断能力も常人より優れた人材が選抜されますから、人命の究極の無駄使いと言えます。普通に戦うより、より消耗が激しいのです。だから合理的な毛唐(失礼!)ですら感動せずにクレイジーといったわけです。どう考えても戦術上特攻なんてとってはいけないわけです。

 しかし戦局を打開するために必要なくても、実は他の理由で切実に必要とされていたわけです。その理由とは戦争指導部の責任回避という政治的なものです。

 まさか勘違いされている方はいらっしゃらないとは思いますが、当時の戦争指導者の誰一人としてあの戦争に勝てると思っている人はいませんでした。「清水の舞台から飛び降りるつもりで」始めたといみじくも言っていた人すらいますから。清水の舞台から飛び降りた人がどうなるか、まさか間違える人はいないでしょう。
 だから最初のころは戦勝に浮かれまくっていたとしても、時間が経つにつれ予想通りの展開になったわけです。うまいこと講和状態にもっていければよかったのに、戦争指導部はチョンボを重ねて風呂敷をうまくたたむことが出来ずに、開戦時の状況より悪い状況にしてしまうわけです。さぁ大変。うそを積み重ねますが、国民の怒りは収まりません。まだ、「戦争に負けております、ごめんなさい」と言えばまだ怒りの矛を収めようがあったかもしれませんが、まずいことに戦争指導部は嘘を嘘で塗り固めてさらに国民を怒らせてしまいます。大本営発表に国民はだまされていたとか言っている人がいますが、嘘です。日露戦争の頃を知っている人がたくさんいましたから、かつかつ勝ったあの日露戦争より、出征した自分の息子やよそ様の息子が(遺骨すら)帰ってこない状況なんて、どんな状況であるのかわかりきっています。国民のほとんどが出征していましたから。開戦前にはみかじめ料が少ないといって、経済を見事復興させた大蔵大臣を暗殺する集団でしたから、国民の怒りはすさまじいものがありました。普段えらそうにしているくせに、人の大切な息子をタネ銭にして勝手に博打をやってしくじりやがって、ただじゃ済まさないぞというわけです。
 そこで必要になったのが軍が自分から責任をとったという形を示すことだったのです。軍が悪うございました。だから軍の中から腹を切る人間を出します。・・・という形を“終戦前に”示さなくてはならなかったわけです。それが特攻隊。戦争指導部の判断ミスなんだから戦争指導部が腹を切ればいいのに、年端もいかない若者をだまして人身御供。戦局の打開を図るためには一撃必殺の自己犠牲しか考えられなぁーい。ぜひ諸君の尊い犠牲が必要であーる。だれか志願する人はいなーいか。なわけです。
 つまり、戦争指導部はどこまでも徹底的に責任回避をしたわけです。特攻隊員は実は日本の犠牲になったのではなく、戦争指導部の犠牲になったわけです。終戦時に戦争指導部は資材の横領など、暴力装置をもっているうちに罪に罪を重ねるわけですが(ジョン・ダワー:敗戦を抱きしめて)、またそれは別の話ということで。笑い話に、アメリカの将軍・ドイツの将校・日本の下士官、兵で世界最強の軍隊が作れるというものがありますが、裏を返せば日本の上級指導者層は屑だったわけで。しかも、現代に至ってまでその恥ずかしい伝統は確実に受け継がれている@昭和天皇陛下わけです。戦後日本経済を復興させた世代が明治の元勲だとすれば、団塊がその資産を食いつぶした戦争指導部なわけで。もちろん全員じゃないにしてもね。