スターシップ・オペレーターズが終わって その1

 昨日は登場人物達の主体性について書きました。結果としては彼らの努力が何らかの実を結んだ形になりましたが、実は本人たちがじっくりと考えて方策を練った上での行動ではなく、突発的な情動や雰囲気に流され仕方がなく行動した結果がたまたまうまくいったという、ある意味救いようのない構造になっています。目標を立てた上で必要な情報を手に入れたり適当な手段を考えるという、こつこつと積み上げていくという形ではありません(アブキール戦ではそうでしたが。シュウ星域戦でもそうなりかけましたが、連携が取れず挫折しました。)。ただ乗組員が努力をしなかったわけではなく、自分たちが持っている知識や技術・(戦闘)経験を活かして、まっさらな状態から適当な方法を選んではいるのです。昨日の自分の文を読むと否定的な書き方のようにも思えますが、実は描き方に不満があるというのではありません。むしろ「今はそういう状況だよなぁ」と考えさせられるネタであるのです。
 私自身が勤め人で、ほんの一昔と比べて仕事のあり方がそういう変化を示しているなぁと思う部分が大いにあるわけです。昔の商慣習というものは一つ一つのものを積み重ねていくという構造が前提になっていたように思うわけです。顧客もそれを理解していたのではないでしょうか。モノを作り上げていくことを例にあげれば、部品を一つずつ組み合わせて、少しずつ付加価値をあげていくことがそれにあたります。今は少し様相が違ってきているように感じます。もちろん、我々が手にするいろいろな商品は当然工程を経て製造されているわけなんで、そういう意味で製造現場に大きな変化が現れたわけではありません。それらの工程が効率化・洗練されることで、商業的に次のステップに昇格したと思うのです。
 難しいことをくだくだ言わなくても、結局顧客は結果だけを要求し、それに必要な工程を理解しようとしないために悲惨な状況になっていると思うのです。顧客の要求する結果に応えられなければ、企業はつぶれるだけです。企業がつぶれないために顧客の要求する結果に応えるよう社員に要求し、それに応えられなければクビになるだけです。そこで、顧客は満足度の高い企業を求めるし、企業は即戦力を求めるわけです。こつこつ物事を積み重ねていくということをやっていては企業は持たないし、社員として求職者は雇ってももらえない。
 だから、スターシップ・オペレーターズの乗組員も、じっくり戦略を考えていることなんかやってられないわけです。進路に対して十分に考える時間があるわけでもなく、初めから敵が次々と現れて、場当たり的に行動するしかなかったわけです。初めから優秀な人間だけが集められ、会社に育ててもらうこともなく、自己修練に時間をかける余裕があるわけでもなく、いきなり厳しい現場に放り込まれ、素晴らしい結果だけを求められるわけです。そして、彼らに余裕がないことをいいことに利用しようとする大人たち(顧客・経営者)も多々いるわけです。ここまでは世代に関係なく当てはまることだと思います。そして今の中高生に当てはめるとすれば、彼らは「他人に興味・関心を喚起される存在」であって、けっして自分自身のの興味・関心で課題設定をしたり課題解決のための手段を考えるわけではありません。そういうものは学校や塾などの教員たちがやるもので、あくまで彼らはそれら大人たちの興味や関心の持たせ方が適当であるかどうか感情で判断するべき存在なわけです。ただし、スターシップ・オペレーターズの乗組員は感情で動いてはいても、努力をしないわけではないし、感情で動いた結果を目の当たりにして何か考えるものはあるわけです。
 そういった観点から見ると、中高生に対して「おまえらそれでいいのかよ。」と言うメッセージのようにも受け取れるわけです。昔より状況が厳しくなっているからまじめにやっていても展望が開けるわけではない。しかし努力しないともっと状況は悪くなるのではないか。一生懸命もがいていても食い物にしようとする連中は出てくるけど、それでも努力すれば(がむしゃらに作業量を増やすという意味での努力ではない)いい結果になることはあるぞ。というメッセージのようにも思えるわけです。