恋と嘘 第6話

 ん、主人公の同級生の相手が音大生って、どういうこと?。
 もしかしてその音大生、16歳で政府通知を受けたとき、あなたの相手は現在中学生(ことによったら小学生)ですとでも言われたんだろうか。まさか相手が16歳になるまで政府通知がなかったとか。それはそれで不安だわな。いちおう国民は16歳の誕生日を迎えたら全員政府通知があるもんだと理解してたがそのへんどうなんだろ?。
 世界観というか物語の設定が甘いってのはあるんだけど、しかし今回も面白いというか。説明してた厚労省のお姉さんの態度が本心からそうなのか仕事だからそうなのかどっちなんだろ?というところが本筋から外れはするが微妙に気になった。特に声優というのは、キャラを仕事上なりきって演じなきゃならないから、本人が実は役に本心から共感してなくても演じなければならないし、共感しているなら言うに及ばないが、最初はそうでなくても演じてみればそれなりに面白くなって演技の幅が広がるとかなんとかというのもあって、作品のキャラと声優のそんなあり方というのが期せずしてだろうが一致していてそれを念頭に置いて演技を鑑賞すればこれはこれで非常に面白いという。しかもそれが作中の自分が好きな相手と人に選んでもらった相手と…という下りとも、これまた期せずしてだろうが一致していて、あ〜こりゃやっちゃったね、千歳一遇のこんな一致はめったにみられるもんじゃねぇなとか半ば感動して視聴してた。政府側にもくだらネェというキャラを登場させているから殊更に対比と一致が酷いことになってる。
 今回面白いと思ったのが、政府による個人の活動の管理だとかそういうのではなくて、社会的な結婚システムについて振り返ることができたこと。強制性はこの作品の政府通知のほうが強いのだが、このあり方は昔でいう見合いなわけであって、それがある程度廃れた現在、見合い結婚と恋愛結婚の評価ってのが改めてされているのかなというところ。データ上は見合い結婚のほうが恋愛結婚より離婚率が低いというのが結果として出ているわけなんだが、それは家庭を持ち子育てをしという社会的観念が昔のほうが強かったというところから決して単純な比較はできない。が、では現在はしたいときにいつでも離婚オッケーというわけではないだろうし、恋愛結婚をしたら離婚をしないような社会的支援が整えられているか?と言われたらそうではないわけで、それは見合い結婚だと大抵見合いをさせたほうが後見人としてある程度面倒を見るからいざ離婚が見えてきた場合は支援が得られやすいし、そういう背景が離婚という考えから意識を遠ざける効果があるわけで、なるほど自由放任ということになったらそれは野獣の交わりとして、昔は恋愛結婚が野合とさげすまれる理由だったんだなというのが結果として明らかになったという感じかな。とはいえ、別に恋愛結婚であるから必ず離婚しているわけではないし、責任感が強いもの同士だったから好きで結婚したのだからその好きが衰えても自分の選択には最后まで責任を取るという態度もあろうし、いやそんな深刻に考えなくても普通に続けられるってのも多かろうし、好きが維持できていつまでも幸せってパターンもあるだろう。が、やはり恋愛結婚で婚姻状態を維持できているというのも旧来の結婚システムの延長線上にあるからというのも決して無視できないものであって、そのへんうまく分離できるものでもない。もちろん見合い結婚だからといって必ず離婚しないってこともない。しかしデータとしてやはり離婚率は恋愛結婚のほうが大きいわけで、そのへんは基本として押えるべきだろう。
 で、結婚に限らず就職だとか人間の選択全体について言えることではあるのだが、やはり自分が積極的に選択したから良いものでもなく、他人に選択させられたけれどやってみれば悪くなかったという、そういうものなんじゃないかという気がする。恋愛という単語そのものが誤解を招く原因であって、恋と愛とは対立する概念というよりは次元が違う単語の組み合わせ。乞フ、つまり乞ヒ願フから恋なのであって、愛については合フから合ヒなのであって、恋が一方的な願望や欲求なのに対して、愛は双方が馴染んでいるという状態を表している。相手を求め(恋)た上でのお互いの受け入れ(愛)という意味での恋愛ならばよいが、受け入れる(愛)前提で相手を求め(恋)合うという恋愛ならばそれは互いの主張の押し付け合いなのであって、そういうのは早晩破綻するのは目に見えてる。
 見合い結婚より恋愛結婚が選択されるようになって、離婚率を下げるというか、幸せな婚姻状態を維持するために必要だったことは、おそらく恋愛結婚を選択した二人が一時の気の昂ぶりに流されることなくこつこつと社会的な関係性を構築していくことだったのだろうが、地方のいわゆる地縁が崩壊してそういうことをやらなくても簡単に個人の意志で結婚できるようになったから、コストを考えたらやらなくてもオッケーとなり、途端にやらなくなったんだと思う。逆に都市部だと地縁を意識する必要性は全くないわけだからやる必要もない。見合い結婚のときのように婚姻関係を維持するのに存在したであろう義務感もないわけで、なら一等次元の低い子育てがおろそかになってネグレクトだとか増えるのも当然といえる。
 で、恐ろしいのが、この作品だと少子化対策と称して、そういった婚姻関係の維持に関して政府が支援するというか面倒を見るって設定になっていること。この作品の世界観だとキャラ達にそういう履歴がないから認識もしないだろうが、現実の日本人にとっては、見合い結婚は相手の選択に本人の意思が介在しないからダメだと思っていたけど、いざ恋愛結婚が多数派になってしまうと見合い結婚よりトラブルが多く発生してこれはどうしたものかというのを経験してしまっているので、こういうソリューションはどうですか?と言われたらおそらくかなりの数の支持者が得られそう。冷静に考えると政府が子作りを制度的に組み立てゝ人為的に管理するということを差し引いても国民にとってメリットは大きい。自己決定権を捨て去れば利益は大きいわけだから、第二次性徴期を迎えて頭が異性のことで一杯になってる時期の餓鬼ならともかく、大人になってちょっと落ち着いて結婚を共同生活をする相手として冷静に考え始めることができる以降の年齢層の大人は圧倒的に支持しそうではある。なにせ国が準備もしてくれるし尻をも拭いてくれるんだもの。
 個人的には今叫ばれている少子化対策も前提がおかしいし、生産年齢人口が少なくなることで労働単価が高くなりそうであるという懸念が現実になって奴隷を増やすために働き方カイカクなんて言ってる政府のあり方自体が害そのものでしかないと思っているわけなんだが、えーっと、この作品だと人口調整がうまくいってるという設定なんだから、安定した人口に対する就職ってのもおそらく管理されていて、ある程度硬直化しているんだろうけど、安定した職に就けるようなシステムになっている*1と考えざるを得ないんで、冒頭で恋愛に関する自己決定権がないからディストピアものだと思わせておいて、その実それさえ手放せばユートピアなんじゃね?とすら思えるってのがね。

*1:この作品の親のあり方をみると、国の言うとおり結婚も子育てもしたが、子育てが厳しいと思えるほど厳しい労働環境で働かされるという描写ではない。