つうかあ 第7話

 二人が元鞘に戻る話。
 うーん、これは思い切ったのか、風呂敷を広げようとして断念したのかわかんないな。二人のあり方が似通っているのは、当然双子という元々生物学的に差異がないということもあるんだけど、育てられ方(差をつけると贔屓されたゞのでめんどくさい)もあるはず。こう自分らしさを求めて(といっても元々が似通っているのだから今までの履歴で差を求めようとしても無理がある)というのは、むしろ幼児の自我の獲得と近くって、結論からするとこれこんなエンディングでいゝのか?と心配になるぐらいだ。なにせ自我の獲得に失敗したってことなんだから。
 しかしそうはいってもこれは似通っていない個人でも、構造的には似たようなことがあって、たとえがおかしいのかもしれないが、仮にある店にいって商品を取り寄せしたとする。当然注文票を受け取って後日受け取りに行くわけだが、その受け取りのときに対面した店員が、注文した店員とは違っていたとする。しかし、その受け取り時の店員はやはり当然にして注文時の店員から引継ぎを受けているなり、直接引継ぎをしてなくても店にシステムなりで客の注文は既知であって、直接客に注文を受けてなくてもそのように対応する。もちろん客のほうでも注文時の店員も受け取り時の店員も人間として同一ではないことは知ってはいるが、取引の取り扱いとしては同じ店舗の店員として対応する。小規模の店でよっぽど心配になったのならともかく、そうでないなら「あなたは注文時の店員ではないが、私は以前この店でこういう注文をしてきょう引取りに来いといわれたから来たのだが、伝票を探して商品を渡してほしい」なんて言わない。店員も「私はあなたから直接注文を受けたわけではないから、そのときの様子を聞かせてほしい」なんてのも普通は言わない。お互い会ったことがなくても社会的には取引上差のある人間と扱うことはしない。このような場合、客は店員を違った人間と認識するが、店員としては同一に扱う。
 しかしこの店員がこの話の双子であったらどうなるか?。店員として同一に扱うのはまぁそりゃそうでしょというしかないが、なんらかの説明がなかったら人間として同一に扱うはず。そして双子は生活時間のほとんどを他人にそう認識されて生きてきたのだから、そりゃ当然にしてそういう環境に適応して同一人物と見まがうように生きてきたでしょというわけ。そしてこういうある意味旅立ちのきっかけができたとして、彼女達はそれ以外の生き方を自主的に学習してきたのでない限り知らないわけだから、今までの生き方以外の生き方なんて難しいでしょということ。そういう生き方をするためには違った環境にさらされることであって、それが違う学校に進学するとか、違った会社に就職するとか、違った人と結婚するとかなんだけど、今回のエピソードで言うと、それが違った男と付き合うところで運が悪いことに失敗してるわけだから、こりゃ重いわなとしか。
 なんかおかえりなさい私だとか言わせて、見方によってはいろいろ紆余曲折ありましたが落ち着くべきところに落ち着きました、なのでハッピーエンドと捉えることもできるんだが、個人的にはスタッフ(原作もそうなのかな?)はそう単純な終わらせ方の雰囲気にはしてないと思う。二人がこのまゝ結婚もせず、いつまでも二人べったりで幸せに暮らすというのもひとつの人生のあり方としてそれはそれでオッケーなんだけど、そういう結論でもないでしょ。
 しかしなんだな、SMコンビの回も振り返ると、なんか結構アンニュイな雰囲気の作品だな。女子校生部活ものとしては爽快感があまりないというか。いやだからだめだってわけじゃなくて、むしろ部活モノにしろなんにしろ、女だけが寄り集まっていつもニコニコ仲良し気分ってのがリアリティないんだろうなという気はするのでもっとやれってな感じだが。そもそも主人公たちが男の取り合いでいがみあうってのが初っ端から示されてるわけで。