クロスアンジュ 第25話

 うーん、なんだかんだいって最后はきっちり〆てきたかなという印象。
 あとは倒すだけになっていたのだが、正直勢いだけで進んできたので、結論をどうするのか気にはなっていた。単に力で圧倒して敵を倒すのであれば出来の悪いお話の一つになるわけなんだが、エンブリオを倒すためにこちらが満たさなければならない条件ってのを用意していてそのへん感心。エンブリオがマナを渡して統治していた人民を何故切り捨て、マナの恩恵を受けずに自分の力で運命を切り開くアンジュを選択したのかという結論にもなっていて、アレ、では、エンブリオの判断自体は悪くないのでは?という余地も残していた。が、エンブリオの思考は基本的に先日話題になっていた「日本会議脳」であって、それはこのまゝ日本の状況に合致しているのが恐ろしい(日本会議の研究よりこちらのほうが早いはず)。そして日本人全体に目を覚まして欲しいというのはあるが、この最終回のように結局最終解にたどり着いたのはヒルダとサリアの二名だけというのが悲観的な状況を表している。
 しかしなんだな、視聴し終わってざっと感慨に耽ると、いゝようのない微妙感が拭えないな。なんつーか、この作品の狙いは悪くないし、人物の掘り下げも決して底の浅いものではない。結論も手垢のついたようなものではあるが、これは言い続けていかなければならないことだし、構成とかも納得のいくものではあるが。しかしこのなんか元ネタがスグにでも割れそうな借りパク感がなんとも微妙な感じなのだ。そしてそれはおそらくアニオタに元ネタ探しをさせるのが一つの目的でわざとそうしてるんだよなというのも窺える。もちろん丸々借りパクしてるんじゃないよというのを示すためにデザインや世界観にそれなりの工夫は見られるのだが、どうにも素直に評価しづらいというか。とはいえ、オリジナリティというのは独自性が強いほど今までの表現技法に慣れた視聴者には受け入れられないというリスクも負うし、ならオリジナリティにリソースを突っ込むよりも他にコストをかけたほうがよいんじゃね?というのは確かに正しい判断の一つではある。
 結局世界観は既存SFの、ガジェットは既存ロボットアニメからの借り物、メインメッセーヂの部分は世界名作劇場を底本としながら、現代社会の問題を骨格部分もディテール部分もそれなりにリンクさせているんだろうなという印象。先ほども述べたとおり、問題自体には正面から向き合っており、けっしてはぐらかしてもおらず、その辺の真剣さは評価したい。が、おそらくスタッフも別に不朽の名作を作るという気負いがあったとも思われず、スタッフ自信も楽しんで作るけれども別に視聴者がこれに深く感銘を受けたりせずに消費してしまって後に残るものがないと感じても別に構わないやぐらいの目標があったんだろうなと思う。もちろん視聴することによって何か一つでも心に沁みる部分があればそれに越したことはないといったところか。特別な気負いもないが別に手を抜いているわけでもない。で、そういう作りだからこそ、こちらも視聴者として練り込みが足りないという心境に達することもないし、示される一つ一つのテーマには楽しませてもらったという感が強い。ある意味これは一つの作品というよりはコミュニケーションツールとしての役割のほうが大きいのではないだろうか。