Free! Eternal Summer 第13話

 こういう話立てを女は好むんだろうなと想定して作られたものなのでは?。
 なんというか、もうすべてを言語化しないと気が済まないとでも思っているのか。全国大会前夜の語り合いで号泣あたりとか、女社会をそのまゝ男に当てはめてみましたみたいな感じが溢れていて、いやまぁそれはこちらも泣けないことはないんだけど、少なくとも自分らの世代ではそういうことはありえなかったろうなとは思う。
 さて、言語化された遙の気持ちとやらを整理してみると、ゞうやら彼は水泳を続けるためには競泳の道に進むしかないということがずっと前からわかっていて、それでもタイムを競うことには意味を全く感じられていなかったということらしい。それが凛とのあのオーストラリア行でなんで解決されるのかは未だにさっぱりわかんないんだけど、そのへん自分でもどう処理してよいのかわからない。別に思春期の少年少女が自分の決断に他人に説得できる理由を持たなくても構わないといえばそうだし、そういうことがありうると自分でわかっていながら、自分がこの物語に言語化できる納得できる理由を求めるってのもおかしな話。とはいえ、この作品がやはりそういう問題に対してはっきり言語化したいというのを最終的にもってくるあたり、やはりテキストで視聴者を説得できるものを持たなくてはならないんじゃね?とも思ってしまうし。そのへん、やはり自分的には第1期の中盤の遙の言語化できずにとにかく生きていくという描写を評価するけど、第2期を通してキャラの気持ちを言語化して視聴者に伝えるというのは評価しがたいといったところ。第1期はキャラに苦悩を与えて視聴者にはやゝストレスを感じながら物語を追っかけさせる、第2期はキャラを落ち着かせておだやかではあるんだけど、全国大会出場までのアゲアゲ基調を楽しませるってところだろうが、この第2期で視聴者を掴みきらなきゃならないのに、ちょっと違う世界に連れて行かれたといった感じ。第1期は全体がダメダメなんだけど、そうであるがゆえに中盤の遙の言語化できない気持ちが際立っていたと言えるだろう。で、それはおそらく視聴者の多数には伝わってない。で、第2期は、こうなんていうか、例えるならば、就活における理想的な面接ビデオを見せられている感じ。別にその企業が第一志望ではないんだけど、面接で適切に振舞うためにはちゃんと自分の理想とやらを言語化しなくてはならないんですよ…というのを見せ付けられて、いや、面接官としてはそういうのをわかった上で、じゃぁその就活生の本質をどう見極めるか…、やっぱ内容無いんじゃね?といったところ。最終回をそう変えたからといって良くなるわけではないが、主要キャラによる今までの振り返りとか、自分がどうしたいのかのカミングアウト、これらは一切要らない。むしろ今までのアニメはフラッシュバックなどの形で短時間に視聴者に提示して終わってたはず。すくなくとも怪我のために最高のパフォーマンスを出せないことが他の部員に丸わかりになっていた宗介を全国大会で集合させながら、結局のところ彼がリレーメムバーとして泳いだのかどうかは描写しないということができてたんだから、おそらく脚本会議ではちゃんと話し合われていた*1はず。結局誰の主張が通ったのかはわからないが、ちゃんと言語化しましょうという風になった結果だと思うんで、その判断が自分にとってはダメだったというだけで、他の視聴者がどう考えたのかはちょっと知りたいところではある。
 というわけで、最后まで追っかけてみて、やはりテキストゝしての完成度は今一と感じた。今までの物語フォーマットをテキスト陣がわかってなかったとはとても考えられず、構想ができあがった時点で視聴者ウケするために、どう視聴者に提示するかというテキスト化で失敗している感じ。スタッフとしては視聴者に対するおもてなしの心とやらを発揮したんだろうけど、それがテキストのクォリティを却って下げてると感じた。ぎこちないながらも泳ぐ描写は頑張ってたし、物語を構成する上で集めた素材はそれほど悪くないんだけど、蛇足が過ぎて損しているかな。学校別リレーで敵対するメムバーを入れての公式試合という禁じ手だとか、怪我をしているのに強引にリレーメムバーでという時代遅れにしてもちょっと今ドキの世相を無視した取り扱いというやらかしもあって、なぜ重要な場面で萎えさせるかなぁというのもマイナス要素。見切るほどでもないが、わざわざ時間を確保してまで視聴するほどのものでもなかったかも。このテキストの流れがツボに入る視聴者がいないとは思わないが、かなり限定されるのではないだろうか。おもろ-。

*1:キャラの内面は言語化せず、視聴者に妄想させるのは普通の手法