スターシップ・オペレーターズ〈5〉 (電撃文庫)

 ツンデレおフランスの登場とアマテラスと取引にある企業AGIへの同盟の恫喝と5対5の決戦準備の巻。ん〜、正直ワクワク感はもう無いねぇ。かと言って義務感で仕方なく読んでいるってワケでもなくって。いや惰性が無いわけでもないんだけどね。大体二昔前のスペオペだと、割と政治的問題ってのが背景になってしまっていて、それ自体が本筋になるってことはあんまりなかったような気がする。
 というかアニメを1つの評価基準とおくと、どうしてもドンパチ描写がアニメには不可欠だから背景は二の次にならざるを得ないんだよね。が、SFは本来が現実社会の仮託だと考えると、むしろ世界モデルの構築とメタファーや記号を駆使しての視聴者・読者とのコミュニケーションのほうが重要なわけで、そういった意味でスタオペがこういう展開になるのはむしろ歓迎すべきことなんだとは思う。が、あとがきを素直に信じるなら、作者自身が飽きてしまって、面倒だと考えているんじゃないか?と思えてしまった。シノンを優れた戦術家と考えて、彼女がバッタバッタと敵をなぎ倒すかあしらうという根幹が1つあり、周辺事情はすべてそれに従属するって構造があって、まぁあとはジュブナイルとしてSFらしくいろんなめくらましを散りばめとけばいゝか…って感じではなかったかと。が、シノンは戦術家であっても戦略家ではなく、かといって戦略家が代わりにいるわけでもない。銀英伝だと主要二勢力の主人公は二人とも戦術家・戦略家を兼ねており、あの世界を構築している勢力も基本数が制限されてた。スタオペは多様な国際政治を後付けで取り入れたために、ハンドリングが難しくなったんじゃなかろうか?。
 さて、前回の予想を裏切って死人が出た。で、アニメで死んだのはシノンの相手じゃなかったか?とか思っていたんだけど、原作ではセイの相手になっていて、というか、自分の記憶が信用ならない。この作品が厳しい現代を生き抜くべき若者への応援歌的要素をかなり持つといったことを前から述べているが、現実社会では若者を殺すのはその若者を内包している社会自身であって、実は若者の敵が若者を殺すわけじゃなかったりする。が、今回死んだクルーであるイリキをアマテラスの仲間が殺すわけにはいかないわけで、かといってアマテラスの支援団体であるAGIにその役を担わせるわけにもいかず、そこは敵である同盟が順当に役回りを演じることになる。現実だと、就職に苦労したことのない親世代が、時代背景を無視して若者が就職できないのを若者自身のためだけに帰したり、就職した企業の上司が、上司自身その上司に面倒を見て貰ったにもかゝわらず、その上司自身はまったく若者の面倒を見ずに切り捨てたりということが多分に見受けられる。もちろん若者自身の能力不足や志の低いところに起因することがないわけでもないが、勢いで何とかなった世代と、用意を周到にしてもどうにもならない世代とではやはり考え方を同じにするのは酷である。イリキは正規の戦闘ではなく、特殊部隊による「闇討ち」によって命を落としている。で、その闇討ちが世間的には追認されるという構造になっている。これ、職場で上司によるいじめ・いやがらせで、若手が潰されていく構造と同じになっている。
 で、AGIが同盟の恫喝に屈してアマテラスを見捨てるという情勢だが、どうなんかな?といった感じだ。歴史的に見てもグローバリズムの黎明期であるところの大航海時代はともかく、植民地支配が顕著になる帝国主義期以降は、むしろ企業活動が国家を圧倒してきたという構造ではなかったか?と思うのである。インドが植民地にされていくのも、イギリス企業のインド現地法人の活動を国家が支援し、インド内部を経済的に崩壊させてからイギリスが乗っ取ったというのではなかったか?。合衆国がアフガン・イラクに侵略したのだって、中東利権を狙う合衆国企業のロビー活動が国家を動かしただけなんだよな。そういや最近カダフィが人道上の罪とかで国際司法裁判所かなんかに提訴されてたが、おかしいよな。まずブッシュ(ブッシュはまさに石油利権の親玉だったりするわけなんだが)を血祭りに上げてから言えってんだよ。結果的にも何もイラクフセインには国際的には何の罪もなかったわけなんで、ブッシュやブッシュを支持した連中は一族もろとも根絶やしにあうべきなんだよ。まぁそれはおいといて、AGIが同盟とゞんな力関係にあるのかという設定が今一よくわからないのでなんともいえないが、あの世界で経済と情報が国家から分離されているというのであれば、むしろ同盟に経済封鎖をかけることができるのがAGIだったりしないんかな?と思ってしまうぐらいだ。20世紀はたとえば私企業が素でアフリカの政権を転覆させたりしてたもんな。まぁ確かに大義名分もあるし、なにより作者がそういう仕様だと言い張るのであればそうなんだろうなというしかない。
 残り一巻なんだが、こゝに至って作者も困ったのかな?と考えてしまった。振り返ってみればアマテラス陣営は勝ちすぎたんだろう。アドミラル・グラフ・シュペーは中立港から出よと言われて自沈した。アマテラスはシュウを出て劣勢ながら戦闘には勝つ形でチャンネルダッシュを成功させたワケだ。ま、常識的に考えてリアリティはない。で、今度は5対5ではあるのだが、敵は指揮系統が統一されているが、アマテラス陣営はそうではない。まぁこゝは敵はポジション争いで自滅といった「味方もクソだが、敵はもっとクソだった」という流れにするんだろうが、そうするにしてもアマテラスは勝ち過ぎになってしまう。描写的にもアマテラス側に優秀な戦略家がいないのに、大国を艦隊戦のガチ勝負で翻弄するというのはマズいだろう。
 で、自分なりに作者はどのような結末を考えていたんだろう?と妄想してみたのだが、蜂起した連中が期待もしていたし、シノン自身が語っているとおり、やはり同盟を黙らせる勢力を引き摺りだすのが順当だろう。シノン達のストーリーとしてはアマテラス側がなんとか航海の末に同盟を黙らせることに成功するか、それともアニメ版のようにアマテラス側では情勢を覆す事は出来なかったが、異様なエクスチェンジレートで敵に犠牲を強い、一矢報いたという形にするかだ。が、自分は並行して語られているマサラに重要な役割が振られていたんじゃないかと思ったのだ。この作品の大きな柱の一つがメディアであり、今のところ銀河ネットが商売上成功しているという域を出ていないのだが、マサラの行動ととメディアがアマテラスを救う*1、もしくは同盟を黙らせることに成功するという結末を用意してたんじゃないかと思うのである。
 が、どうだったっけか?、イラクで拉致された日本人が子鼠政権時に居て、あの当時はなんでそんな危険な場所に、警告を無視して出かけるかなぁ…といった自己責任論がメディアを通じて喧伝されていて、---というかあの自己責任論の扇動の大元は合衆国だったというのが今考えるとよくわかるんだが---、それどころじゃなくなったのかもしれんわなと思ってしまうのだ。で、いまやメディアは特権階級と結託してむしろ積極的にウソを報道するという流れに現実はなってしまっている。NGOも持て囃されていた当時は社会的勢力になりうるか?という期待感もあったけど、今やお飾り的役割しか果たしていないし、酷い所は天下り先というか御用機関に成り果てゝいたりする。中東では民衆の蜂起がようやっと起こって、欧米に必死に叩かれている最中で、、でも民衆の声なき声が、現実を動かす声と変化していくって結論にはし難くなったんじゃないかとも思うのである。

*1:サイレント・マジョリティベトナム戦争を終わらせたという構図