【自民党】新聞・テレビの世論操作を監視するスレ【60】

 実は現在政治板の世論操作スレがいくつかあってまぎらわしい。引用の引用になるが、結構面白かったので。

466 :名無しさん@3周年:2009/02/12(木) 12:06:50 id:z1sFhpPX
318 :無名の共和国人民 :09/02/09 02:12:11 ID:/nsMGUcj
こういういい方はまずいかもしれんけど、生活に直結しない安全保障批判ばかりに熱中した結果が左派の低迷じゃないかと思うんだが。
雇用や貧困問題ばかりを論じて、というが、そうやって根本的なところから票を伸ばしてこそ安全保障問題の批判や改革も動かしやすいし、国民への説得もしやすくなるだろうに。
むしろ今争点を拡散させるほうが事態を深刻化しかねない。

319 :無名の共和国人民 :09/02/09 06:24:51 id:nbo2et19
正直、安全保障問題は場合によっては逆に人離れを起こしかねない話題だと思うんだが…。

320 :無名の共和国人民 :09/02/09 06:41:14 id:h9IHKYfy
>>318-319
「戦争はあらゆる貧困と不幸の根源」と言う人たちの発言力が強すぎたからね。
それだけではないのだけど、例えば未組織労働者の組織化や外国人の人権問題と言うのでやっていた人たちは政治力なかったから。
左翼であるが為に思考停止していた人が多かった。特に80年代の成田闘争の分裂で熱田派側に付いたブント系の人が反戦や反原発フェミニズム市民運動に流れて行ったんだけど、彼らは党派主義的な閉じた運動で自己満足して積極的に人集めしなかったのと排他的な運動を続けていたのは痛かったよ。
彼らの大半がバブル景気を謳歌し、ソ連が冷戦で負けて左翼が時代遅れだと喧伝される中でアイデンティティを喪失してたのかな。とか振り返ってるよ。

321 :無名の共和国人民 :09/02/09 11:37:20 id:ZQc2Wayp
>>320
オープンショップ制を知らんわけじゃあるまい?

322 :無名の共和国人民 :09/02/09 12:45:13 id:EqXoPqlx
軍需産業が儲かれば経済も活発になるし雇用も確保できるという論理ですね
わかります


467 :名無しさん@3周年:2009/02/12(木) 12:13:42 id:z1sFhpPX
323 :無名の共和国人民 :09/02/09 21:15:27 id:h9IHKYfy
>>321
オープンショップ制であっても加入できる労組=コミュニティユニオンなどと呼ばれてる地域労組が整備されるのがあまりに遅かった。
この動きを80年代末期に始めた人たちは左翼の中でも相当な少数派で、ベースは主流派労組に救済されないで企業と起業が承認する労組が一体になって暴力的に弾圧してくるような辛酸をなめさせられた労働運動活動家たちなんだよね。
全国規模でコミュニティユニオンが広がるのは90年代末期になってから。
それも先駆者であるごくわずかの地域労組が経営者や警察と喧嘩して作り上げた地平だった。
この運動自体、フェミニズムと反原発が幅を効かせていた90年代前半当時は左翼からもそうでない人からも胡散臭がられていたし、容易に認知されなかったんだよ。
場合によっては左翼戦線の内部ですらトレンドでないことをやってる事自体を自己批判を迫って自分の「トレンドな」運動に参加させる理由にするようなろくでもない人たちが闊歩していた時期だったしね。


324 :無名の共和国人民 :09/02/09 23:20:17 id:IKhUoN7A
>>323
あんたが言う「フェミニズムと反原発」の時代に、現在の派遣とポイ捨ての常態化が予想できたら神ですよ。
派遣労働なんて言葉自体無かったのだから。
先覚たることは誇って良いけどほかの大多数を貶める理由にはならない。
そもそも今まで根性入れて活動してきた人々が、あんたみたいに器量の小さいこと言うとは思えない。

325 :無名の共和国人民 :09/02/10 00:59:55 id:ElMKYDM+
>>318
私の大学でも自治会という周囲から浮いた感じの人たちが反戦という(一見すると)生活になんら直結しない空虚なことを叫んでいる。よってますます左翼が力を失う。


468 :名無しさん@3周年:2009/02/12(木) 12:22:35 id:z1sFhpPX
326 :無名の共和国人民 :09/02/10 01:22:58 id:HFF+Xgje
>>325
左翼が反戦を言わなくなったら左翼じゃないよ。
戦争と雇用の危機がどっかでつながってるとは思わない?

327 :無名の共和国人民 :09/02/10 01:47:47 id:VqOedC2z
つながってるとは思うけど、だからこそそこを前に出していかないとダメだろう。
周囲に米軍基地も自衛隊もない日本人のほうが多いはずなんだからさ。
(実際問題として沖縄の社民党支持率は高いし)
2chあたりに「9条護持以外は共産党の言うことは正しい」と言ってしまう人間がどれだけゴロゴロしてることか。

328 :無名の共和国人民 :09/02/10 02:22:30 id:HFF+Xgje
「左翼が反戦しか言わない」ってのはウヨの捏造だと思うけどな。

329 :無名の共和国人民 :09/02/10 03:23:58 ID:269+tma5
id:h9IHKYfy id:ElMKYDM+
その考え方はよくわからんわ。
左翼系の運動にも問題がないわけではないが、反戦と生活は密着していると思う。
戦争は、国家による人権侵害の最たるもの。

子どもに十分な教育を受けさせられない貧民層を生む労働法制。
所得再分配機能を著しく低下させ、富裕層を世代を超えて固定化。
教育基本法改悪および国旗国歌崇拝の強制とそれに反する教員の排除により、国家無謬性を子どものころから信じさせる政策。小泉・石原・橋下等ファシストの台頭。
憲法改悪可能になる立法措置。現行憲法のまま自衛隊を世界中に送って既成事実化。

どう見ても、軍隊を持ち戦争のできる国にしたときに、金や高等教育で釣って軍隊に「働く者に選ぶ幅を与える一環として」「自由意志で」応募してくる若者を大量に生み出すように仕向けているとしか思えない。
心配しなくても徴兵制は布かれないよ。富裕層のご子息が戦争に行ってお命を落とせば国家的損失だからね(棒

 自分が学生時代の頃は確かにフェミ論争や原発反対論争が盛んで、自分なんかもヘンだと思っていたクチだ。しかし、バブルの影響がまだ残っている頃で、まさか格差社会や貧困社会が到来するとは思っても見なかった。かといって、原発反対運動をバカにするかと言われれば、今となってはそうも思わない。あの当時は広瀬隆が持て囃されていて、これまた胡散臭く考えていたんだけど、やはり今となっては「私物国家」を読んだせいもあって評価している。要するに石油利権が原発利権に変わったってだけね。
 あの当時、自分が感じていた不安は「バブルがはじけたというのに、組合はまだベースアップなんてたわごとを叫んでいるのか」というもの。中曽根がプラザ合意で円の防衛に失敗というか、むしろ高値誘導したとは思ってもいなかったし、やはり日銀の総裁ともあろうもの(澄田智)がまさかユダヤから金を貰って円高誘導したとは夢にも思ってはいなかったが、それでもバブルの狂乱が実体経済を反映したものだとはとても思えなかった。やがて不況を飛び越えた恐慌が来るだろうと思っていた。
 しかし、企業が苛烈な馘首を行い、庶民を犠牲に日本経済のソフトランディングがはかられた。その時も組合はやたらベースアップ論争を行っていた。'90年代半ばは、自分も仕事についていくのに必死で、そんなに階級構造に思いを馳せることもなく、あぁありていにいえばバカだったわけだが、さすがにこの運動の方向はおかしいんじゃね?という風には感じていた。ベースアップなんて夢は捨て、すくなくとも定期昇給が確保されなきゃならないんでねぇの?と思っていたが、周囲の同僚たちは全然危機感を感じていなかった。自分の友人がリストラで首を切る側になっていたこともあって、彼のやつれようは他人事とは思えなかった。全社員の給料を2〜3割減らすことによって、せめて馘は回避できないのか?と聞いたことがあるが、そういう段階ではないと答えていた。
 それでも組合は条件闘争から逸れていなかったと思う。'90年代も終わり頃になると産業の空洞化が人口に膾炙するようになり、企業が開発職をこきつかうので、技術者が海外に流れ技術指導という名の小銭稼ぎをしていることが明らかになったり、トヨタの苛烈な下請けイジメが噂で流れ始めたのもこの頃だ。とにかく2000年まで経営者は戦略的視点を持たず、犠牲を社員に押し付けるだけで、生き延びつづけてきたと言える。シャープの液晶とかソニーの独創的なデザイン商品と世間はもてはやしていたが、友人は「政治屋は日本の産業が没落していっているのに新しい産業に支援もしなければ見つけようともしない」と憤慨していた。自分はぼんやりと「いや、実は増大しつゝある社会不安は雇用問題なのではないか」と思い始めていた。で、石川英輔の著作に感化され、少々経済効率は悪くとも、資源のない日本ではエネルギー効率を重視した社会作り、でその中で雇用を創出するのがいいんじゃないかと夢見ていた。
 で、組合も経営側と手を組んでおり、条件闘争をするフリをしながら、その実経営者の手先となって抑圧する側に変化していったような印象がある。ついに定期昇給という形はとるものゝ、給与体系が変わったりして現状維持どころか実質減給になっていったのも2000年を越えてからだと思う。あとは労働条件の切り下げだ。労働時間の延長、年間休日の減少、で、給料は全く上がらないという時が流れた。そのとき組合は何の役にも立っていなかった。ここ1〜2年ほどでちょっと給料が上がったぐらいである。で、小泉改革以降は、労働者が組合側の正社員と派遣や請負いに分断されていがみあわされている間に、自民党経団連に好き放題やられてしまった。ユニオン系労働組合が動きだすまで、むしろ御用組合が派遣側を経営層と一緒になって抑圧する側になっていた。
 まぁフェミニズムは大学にいた時は賛同する部分もあったけど、さすがに社会人になったら幻想はスグに覚めた。結局フェミニズムってのは、それを担いだ連中の出世のネタにしか過ぎず、援助交際という名の売春も見逃したというか、権力と結託してむしろ促進したというのを目の当たりにして、自分の中では全く信用を無くしたってのも以前に述べた通りだ。
 だから、世界経済の後退局面に本格的に入ったと思われる今このとき、御用組合だとかフェミニズムとかにはあんまり信用を置いていない。権力層の圧力が苛烈だったからこそ物も言いにくかっただろうという側面はあろうと思うのだが、だからといって彼らが権力と結託して、慈悲を口にしながらも権力者と一緒になって弱者を叩いていたことを決して忘れない。
 で、難しいのが、今巷で盛り上がる「企業は社会的責任を果たすために何が何でも雇用を維持すべき」って論調にも今一賛同しにくいってのがね。企業などが内部留保を溜め込んでいるってのは、もちろん弱者から掠めとったからであり、それをゆくゆくは元の持ち主に熨斗をつけて返さなきゃなんないってのはその通りなんだが、目先の雇用より、今一つ我慢して、共生社会の建設に使うべきなんじゃないかと思っている。
 今問題になっているのは、やはり弱者である庶民に喰っていく力が無いということだ。例えば江戸から明治にかけては、庶民は貧しくとも農業をやっている限り、現金収入は無くとも喰ってはいけたわけだ。ところが工業化の進展に伴い、経済効率に日本が巻き込まれ、庶民は自ら喰う手段を放棄して被雇用者になっていった。欧米列強の軍事圧力もあって昭和初期までは仕方がない部分もあったのだが、雇われ人になるということは、自ら耕作して食うということを捨てることである。雇用先が十分あればなんとか流れ流れて食いつなぐことも出来ようが、雇ってくれるところが無いと途端に食い扶持がなくなるだけでなく、住むところすら確保できなくなる。
 それでも戦後から昭和にかけては日本の工業化の進展により、働く場所に困ることが無かった。しかし、やがて重厚長大型産業が衰退するにつれ、二次産業から三次産業への労働人口の転換が行われてきた。今やモノづくりニッポンなんてお笑いぐさだ。第三次産業の人口比率が三分の二を超えて、7割に達しようとしているぐらい魚拓)だ。これは生きるために直接必要な財を生産している人間ではない。貨幣が通用しなくなったらまず間違いなく飢える層だ。事実、これらの人間がいなくなったら日本の人口は4千万人になるわけであり、これはいろんな学者が主張する日本の適正人口5千万人に近い。全く第三次産業従事者が要らないわけではないから、それはいても1千万人でいいってことなんだろう。よく出来てるよ。
 例えば、江戸時代にまで遡れば、地域で消費する財は基本的にはその土地で生産され、そこで消費されていたと仮定すると(実際にはそんなに原始的な自足経済ではなかったのではあるが)、生活の不安定要因は基本不作・飢饉・疫病などの天災である。現在のように人災ともいうべき政治災害(いやもちろんバカ殿の存在に苦しめられてきたという庶民も大勢いるとは思うが)ではない。少なくとも野放図に人口を増加させなければ雇用がなくなるってことだけは無い。
 で、現在は日本でモノ作りをしてもそれは売れず、売れないから雇用が確保できず、あぶれた人間は食い扶持がなくてどうしようもなくなるってわけだ。まだ選択として田舎に帰って農業を継ぐってものがありえた時代なら、少なくとも喰ってはいけたのだろうが、昭和後期にかけてその選択肢すらなくなり、今、都市住民が仕事が無くて飢えても、モノが売れなきゃ仕事も無く、帰るとこすらなくなっているってわけだ。
 今日のんHKラジオで面白いことを言っていたのだが、そもそも欧米人は高付加価値商品を欲しがる人間はそうそういないらしい。というか、いいものを作れば高い金を出しても買ってくれるっていう高付加価値商品神話が今まさに崩壊しているらしい。別に安くてそれなりのものを大衆は欲しがるし、そういうものを供給するのが大事だなんて言っていた。企業が労働者をせっついて、高機能商品を作らせたってもう大衆はそれに大枚払う時代ではなくなっているのだ。かといって薄利多売ではしんどいだけである。
 で、そもそも生きるために何が必要なのよってのをもう一度見直して、その生産や流通などでもう一度社会を構成しなおしたほうがいいんじゃね?ということなのだ。そのためには都市一極集中なんて非効率極まりないわけで、やはり地方に分散して独立経済圏を数作ったほうが良いってことになろうかと思う。で、別に完全に各経済圏が独立していなくったって良いわけであり、そこらへんバランスを考えればいいだけの話だ。で、そのバランスを取るのが国家的規模でモノを考える政治家、すなわち国会議員でいいってことなんじゃないの?。
 タダね、口でいうのは簡単なんだけど、その実現には途方も無い時間がかゝるんですよ。たぶん20年単位の。今住んでいる人間や、今仕事が無くて飢える、もしくはこれから飢える人間のことを考えたらそんな悠長な事は言ってられないんで、そのために企業には内部留保を活用して社会構造の変化の間の場繋ぎの役割を果たさなきゃならないとは思うんだよ…。で、その地方分権ってのに日本国民はコンセンサスを得ることがそもそもできるの?って話にもなると思うんだが。
 目先の雇用も考えなくちゃならないし、かといってそれを過渡期のものであるって共通認識はちゃんととってもらわなくちゃならなくて、で将来的には調和の取れた産業構造・それに適応した人口配分や雇用を考えなくっちゃならなくて、で、それには時間がかゝり、やっているうちに国際情勢も変わるだろうし、いろいろ問題が生じてすり合わせのためにさらに時間がかゝったりするわけで、まぁ問題は山積みだわな。他にいい案がありゃそれでもいいのかもしれんし。
 でもまぁ、まずなにより今やるべき事は小泉改革の否定からだよな。その一歩が踏み出せんから、前に全然進めないわけで。