夏目友人帳 第2話「露神の祠」

 前回と結末がカブってますな。
 でもまぁ泣けるには泣けた。次回から夏目の友人にスポットライトが当たってくるようなので、そこらへんアヤカシとの交流メインではなくって、夏目で言えば、人間関係とアヤカシとのそれぞれの部分でバランスを取ってくるのかなと。
 今のところ、アヤカシあたりは古きモノのメタファーなのかな?とか思ってみていたんだけど、人間の精神性についてみれば、個人主義の蔓延による共同体の解体についても言及しているんだろうか?とも思えてくる。家族の解体についても言えるのであるが、例えば老父老母の世話を老人介護システムに委託、子供の世話も保育園から今や義務教育ですらない高校にまで丸投げして、外部経済化しているわけで、田舎ですら昔は内部処理していたことを外部経済化して互いの人間関係が希薄になっているとかそんなところへの言及なのかな?。老人は老人でも子鼠やケケ中などのカネカネ亡者が周囲を痛めつけて自分は特権にいつまでもしがみついているのとは対照的なキャラクターたちばかり。必要とされていないのをさびしく思いながらも見苦しくあがくこともなく淡々と消え行くのみ。
 ただし、今回の露神は確かに消えてしまったんだろうけど、前回のヒシガキとか、名前を返したあと見えなくはなったが、消えたわけではないんだよな。今回のススギなんてのは、よくよく考えたら昔そういう職業で食っていた人がいてもおかしくないわけで、でもそれは現代の経済ではとても生きていけなくって、レイコへの思い(というよりはレイコの遺産として)が彼?を今まで生かし続けていたというか。これからレイコにこだわることなしに、自分の力量で食っていけって言われたって、それは到底無理な話で、アヤカシとして存在し続けることは可能であっても、「そんなことしか取り柄が無い」職業層のメタファーとしては、社会的に切り捨てられて存在がいずれ消えていくだろうというのは容易に想像できる。
 露神にしたって、最後夏目の信仰を断り、差し伸べられる指を拒絶…というか押しとどめているのも矜持が感じられてぐっとくる。たぶん消えてしまうというイベントに、その場の雰囲気というかセンチメンタリズムでかけられる情けなんて無用というわけなんだろう。長い間築き上げてきた関係ではなくってその場限りの感情なら要らないと。むしろ何の見返りもなく純粋に長期間接してきたのがハナだからこそ、たとえ自分が消え行こうとも彼女との関係のほうを尊重するってのは美しいと言えば美しい。
 しかし、露神って本当にそういうアヤカシが伝説としてあるのか、民俗学的にどのように捉えられているのかググってみたんだけど、100件のうちほとんどが今回の話のアニ感ばっかり。もう調査を早々にあきらめてしまったよ。