霊剣山 星屑たちの宴 第11話

 やっぱこのタイミングで師匠の格と実力を見せてきたってのは、最初っから変則2クールだったのかねぇ。 
 旅先で王舞が世直しらしきことをやったら他の宗門からいちゃもんをつけられたけど…の巻。敵は確かに悪いことをやってるんだけど彼なりの苦悩など人間性を描いた後で、負けた後にはちゃんと一人の人格を持ったキャラとして退場させるのはちょっと感心。それがもともとあちらの物語手法としてあったものか、日本のアニメを参考にしてリファイン?(というには日本ほど洗練はされてない)されたものかはわかんないが、項羽と劉邦あたりなど、もともとスタイルとしてなかったはずはないからなぁ。決闘を始める前から負け犬確定だったし。
 あと気になったのはレヴェル認定制度。詳しく調べているわけではないが、王舞は階級は低いのに強いという言及がなんどもされていて、それで予定通り勝負に勝って強いということをわざわざ示している。これは日本ではありえない状態で、例えば剣道でも柔道でも段位の低いものが高いものに勝つという描写は許されない。それはもし段位が低くても強いということになってしまえば、それはその段位認定制度に信頼が置けないということであって、ヒエラルキーが崩壊するからだ。ちゃんと強弱の順序を間違えなければ認定制度が信頼されるし、その信頼を持って組織を維持することができる。鑑定に信頼が置けなければ、そういう組織に属するメリットはないからそっぽを向かれるわけで、組織を維持しようとする層にとってはやりたい放題やれないが、逆に正確な認定を行えばそれは権威に直結するわけで、そうそうズルができるというわけでもないし、そのためのインセンティヴは働きにくい。ところが、この作品だとそういう権威づけを気にしているように見えない。王舞が強いというのは階級が高い長老皆が認めていることであって、彼女自体が持っている実力と、認定されている階級とに齟齬があることに疑問を感じている長老もまたいない。
 まぁそういうのも結局、強い弱いは結果であって、位階はあんまり意味を持っていないんだろうな。どうせ全員をまとめて一つの組織にしたところで、やり方や目的が違えば抵抗無く分派するだろうし、その一つが霊剣派だったりするんだろう。その霊剣派だって、順位はついていても、それぞれの長老のやり方が違えば門派が違うってことであって、何々の位に就くことが重要だとは考えてない。そのへん割とよい意味での実力主義的なものが描かれているのかも。逆に日本は有体に言えば天皇を頂点とする階級制度を非常に気にする人間がおり、自分がどの位置にいるのかに意味づけをして出世競争をする。階級制度と言うのも生ぬるくて、本当のところそれは差別制度そのものであって、そういうのを特に気にする自民盗に日本が振り回されているのはなんとも不幸な現実。
 蛇足だが、今回の敵が、実力もないのにその位置に居座るために弱いものを食い物にするという姿に対して、王舞が去れと厳しく言っていたのだが、これもあの敵が自民盗、特にアベを連想させられて仕方がなかった。もちろん原作者は日本をあの敵に託して揶揄していたわけではなく、あちらでもそういうのがいるんだろうなと想像させられる。とはいえ、前にも述べたが、ともすれば実力が無ければ権力の座からいつでも放逐される可能性があって、国民ですら統一した文化や考え方でなくって油断すれば独立しようとする厳しい環境なんで、力で押さえつけるだけでなく、慰撫する効果的な手段も持ち合わせていなければ、とても政治を動かすことができない国柄だろうから、本当に実力がないと指導者になれないんだろう。国民に偽の情報を宣撫しておけばあとは権力側の搾取し放題の日本の政治屋の何と楽なことよというのは置いとくにしても、むしろそういう上位に食い込むために積極的に差別制度に加担しようとする日本国民が一定数いるってのもまた原因の一つではあるんだよな。そういう連中は名目上の階級はともかく、本当の実力とは何か?ということに直面したがらないだろうから、ヒエラルキーを揺るがさない構造のテキストを喜んで支持するのかもと思うと、そりゃ王道展開(価値観が変化しない=社会構造は変化しない)しか流行らないよということにも納得してちょっとため息。

Tokyo 7th Sisters -episode.Le☆S☆Ca- 後編、読了。

 

 前編のときには付属していたブックカヴァーがなくて泣。破れやすくとも付いてくれば表紙を手でベタベタ触らなくて済むんだよね。
 さてテキストだが、前編よりはマシな感じ。相変わらず日常会話の中身のなさには辟易だが、今回は三人の中のヒロインのうち、陸上部の「ついでに」スカウトされた一人のエピソードの出来がまあまあ。読了して振り返ってみると、あんまりアイドルになる動機部分に重きはなくって、むしろ将来に悩む年頃のとらえがたい不安感となんとはなしに進んでしまう若さあたりに力点が置かれているのかなとは思った。年頃とは言ったが、思春期特有の不安というだけだったら、世間知らずの若者が…という感想になるが、現代日本のこれからどうなるか、決して明るい方向にはいかないことだけは確定しているそういう状況の中、今自分がとりくんでいることすら将来どうなるかわからないのにどうすりゃいゝのよ?といった若者だけにあてはまるのではない問題点も含有しているようで、幾分ポエミーながらも中盤に配置されているその部分だけは勢いで読めるといったところ。別にこの後編がお勧めレヴェルのものではないが、前編を買わなくても後編だけで良いんじゃね?ぐらいのことが思い浮かぶ。おっとりねーちゃんが主役だと思ったんだけど、そいつがたくさん紙数登場している前編では、あんまりよく物語上で踊れてない。
 あとはなんだろうな?、この本が特定のキャラクターがゲームに登場する(アイドルになる)前のプレリュード的なものなんだから、それぞれがもっとアイドルになるためにする決心あたりをもうちょっと強調してもよいのではないか?とも思うのだけども、そのへんはむしろゲームでスカウトしてきたプレーヤーがキャラの育成時に補強する部分なのかもしれず、なんとも。正直アイドルに関連する部分をばっさり切って、それぞれのキャラクターが抱えている問題をクローズアップさせたほうがこのテキストライターは良い仕事をしたであろうにという気はする。とはいえ、言ってしまって悪いが、アイドル部分とそれぞれのキャラの事情を上手く絡めてアイドルデビューまで収束させる作品にするんだったら、もうちょっと手馴れた作家に依頼したほうが良かったんじゃね?という気はする。シナリオライターが本業なら構成もわかってるだろうし、ディテール描写も悪くないとは思うんだけど、小説初仕事だと荷が重すぎたんじゃね?とは思う。そのへんコト天ノベライズの作者も小説初仕事らしかったので、腑に落ちた次第。