霊剣山2 第11話

 劉顕長老のおちゃめなこと。
 やっぱり神明裁判。実際の責め苦に耐えてみせることによって推し量るところとかはまんまだし、さすがに内容は変化させているものゝ、やはり王陸が課せられた試練は仙人(道士)による杜子春への試練と同じ構図。杜子春は良い話に仕立て上げられているとは思うが、しかし結局のところ人間が持つ憐憫の情があっては仙人にはなれぬということなので、そのへんはこれも同じということだろう。が、王陸は搾取されていた頃の故郷を救うことが動機で新興宗教を始めたのだから、そのへん今回まったく触れられていなかったのは意地が悪いと思うが、まぁどうなんだろ?といった感じ。
 あとこれはよくわからないところが大きいが、中国人が自分の非を認めないってのがこゝに表現されているのかなというところがひとつ。かといって別に日本人が自分の非を認める民族性を持っているのか?と言われたら、アベ政権を見る限りそんなことは全然無いので、そのへんなんとも判断しがたい。非業の死を遂げた信者をみて王陸が苦しんだり、かといってそれをはねつけるシーンが彼の心象を描かずに児童向けのアニメのような気合の描写ってのがひとつ間違えばギャグにしかならないわけだが、そのへんもうちょっと掘り下げてほしいところではある。
 神明裁判の大半は、被疑者が熱湯に実際に手を浸してそれほど間をおかず、火傷しないタイミングで手を引き上げさせるものだったらしいので、今回王陸が死にいたる前に劉顕が問心剣の試練を中断したところはやはり構図が一緒かなといったところ。新しいところはおそらく(中国人にとっても)何も無いと思うのだが、こう消費されて後に何も残らない萌え描写よりはマシだというところ。