彼女がフラグをおられたら 第6話

 どうせ瑠璃が助けに来るんだから、くるみ子の死亡フラグはそもそも立たないのでは?。
 やっぱフラグ立てが恣意的なんでちょっとなぁ。とはいえ、洞窟で閉じ込められたところでの上記死亡フラグを次々と折る展開は疾走感があってそれほど悪くない。
 ちょっと視聴後に考えてみたのだけども、フラグを折る行為ってどうなのかといったところでは、旗立の台詞は相手の行動や考え方を変化させるってことなのかもと思ってみた。本作ではフラグを立てる行為には今のところ台詞が伴っていて、その台詞を発する際の気持ちがフラグに込められた結末を招来するものとなっている。だから主人公はその気持ちを変化させることによって結末も変化させるというもの。
 例えば戦場における「この戦争が終わったら結婚する」とかいうフラグは、当人がもう戦争で死なないことが前提でもう気分は結婚に対する期待で占められており、そこには大いなる油断がある。だから主人公のフラグを折る行為とは、そのような油断をさせないような台詞や働きかけであると理解すればよい。もちろん初めから本作ではそのようになっており、この例でいえば、戦争をなくしたり、飛んでくる銃弾の進路を変えることでもないし、可能性が無いわけでもないが、死にそうなところをかばって自分が身代わりになることでもないだろう。
 ほんでもって、物語中でのフラグ立ては、大概においてお約束をなぞるということだから、フラグを折るということはどっかで見たような展開を避ける(オリジナル展開を目指す)ということにつながるから、これはこれでテンプレを逆手に取ったほんのちょっと新しい切り口といえなくもない。とはいえ、まだこの作品における物語上のミッションが今一はっきりしないので、そういう変化球を投げたところで作品全体が面白いものになるのかどうかはちょっと判断がつかないねぇ。