リトルバスターズ! 第38話

 こゝで鈴の過去話が来ますか…。
 結構今までぼんやりして視聴してたんだなと思い知らされた。てっきり死亡後の事故の後処理なのかと思ってたが、それじゃぁ物語にならんワナ。
 まぁなんというか、どうせ恭介たちも助かる展開になるんだろうなとは思いながら、そうだとすると恭介が理樹を強くするとか言ってたのは、事故後動ける理樹と鈴に自分達を助けさせるという真の目的があったんじゃないかと勘繰ってしまう。しかし、理樹もしくは鈴がいちおう弱いという立場ながら、なぜ恭介など組織のリーダーが助かる話にしないのかというところがあって、そういうのは結構昔から類型化されている。例えば七人の侍では、やはり最弱の若者が最后生き残るようになっているし、三匹の子豚など、末っ子が兄弟全員を助ける話になっていて、こういうのはおそらく洋の東西を問わず結構語られてきたものなんだろう。そういうのに限らなくても、大抵昔話の主人公は弱者であり、それが機転を利かせて試練を乗り越えるという形になっている。判官贔屓というのもあって、強いものがフツーに強かったです…という話はあまり好かれない。まぁ昔から強者が驕り高ぶって弱者を痛めつける構造が延々と続いていて、そういうのが願望として物語に昇華する傾向があるのかも。人間社会が古来、強いリーダーが困難な事態を切り開き、人類の発展の主導を担い、幸福と反映を人類全体に施してきたとでもいうのなら、民衆は有無を言わずそういう物語を喜び支持するはず。そうでなく、昔から強者は弱いものを収奪して、共同体に利益をもたらすどころか、社会の富を独占してむしろ社会を停滞させてきたからこそ、強者が支持される物語は喜ばれなかったのではないだろうか。恭介が助けられるという物語はまぁ無理筋だというのはそうなのだが、今回の事故の場面で結構気になったのは、真人や謙吾がとっさの判断で、自分が助かるのではなく、理樹や鈴を助けようと行動したこと。親子関係というのでなければ、普通こんなことはしないわな。それだけ信頼関係が強固だったと考えるわけなんだが、理樹に全員を助けるミッションを与えるのが真人や謙吾でなく、恭介なのもなんか納得というか。恭介を除く脇役がほとんど全員組織の最弱キャラである理樹や鈴を助けようと手を差し伸べるってあたりが上記の構造に従っていてなんか納得。
 実は視聴前にいろいろ考えていて、まぁあまり今回の話を視聴するとそうでもないかと思ってしまうんだが、AB!あたりだと結構人の思念ってのに、こだわってるなぁと感じていた。あれも人は現世に未練を残しているものであり、それが解消されると成仏するという形になっていた。このリトバスは次で助かるとすればそれにあてはまらないとは思うんだが、ABのように成仏するだけだったら、なんていうのか、自分が満足して死ねばそれでよいのか?、もっと社会として個人が有機的に繋がって全員が幸せになるような模索をしないのか?と考えていたゞけに、次が楽しみではある。