モーレツ宇宙海賊 第21話

 星座の本の顛末に唸らされる。
 しかし、あの短時間に頭に入っちゃうもんかね?。それにしても星座の本を買うときに、その星系での星座はその星系でしか売ってないってトコで感心させられたのだけども、それを膨らませてくるなんて思いもしなかった。ヘンな話、笹本はこのエピソードを書きたいがためにこの話を組み立てたんじゃないかと思ってしまう。
 いやぁ、そんな話じゃないはずなのに、今回涙が出そうになりながら見てた。なんといってもホシミヤのありかたなんだよね。どう考えても彼女はレースに勝つことじゃなくって、レースを楽しむことを目的としてるんだよ。なんか近代スポーツの黎明期によく見られた、懐の深いエピソードを想起させられる。今のスポーツ界って、競技の成績が出世の手段となってたり、勝つために国家レヴェルでリソースをつぎ込むって確かに大名の道楽って言やぁそうなんだが、子供の遊びにしゃしゃり出て大人が本気になるような大人げないところがある。スパイ・ドーピングなどなんでもござれで、勝つこと自体はうれしいのかもしれないが、それ本当にスポーツなの?って状況も散見されるのだ。まぁすべてのスポーツというより競技者がそうであるわけでもないが、カネ目的のビジネスなんだよね。
 で、なんというか、好事家が純粋に自分の興味で手作りの競技会をやったりするのを見ると、たしかに見栄えはしないんだけどなんか微笑ましくなってくるんだよね。今回のホシミヤの態度は自分的にはそれに近いものを感じる。レースの運営自体はごくごくビジネスライクなんだが、でも委員長の熱さだとか根っこの部分ではホシミヤに近い。そこらへん笹本のほかの作品を思い起こすと、なんか合衆国のフロンティア精神が見え隠れする。日本もかつてはそういうのがあったハズなんだけど、観客のほうがスポーツを楽しむんじゃなくて、結果だけ求めるって姿になってしまっていて、特にショー的なものを求められるプロスポーツあたりにそういうのが浸透してプロ野球も面白くなくなってしまったし、Jリーグも初めっからそういう雰囲気だった。負けると遠慮なくチーム、監督だろうと選手だろうと罵倒し、外部からそのチームを崩壊させてしまう。結局のところ贔屓のチームや選手が負けると、まるで自分まで負けて惨めになるかのような錯覚を起こし、勝つことを過剰に求める。というより強い選手に自分を投影して応援するものだから、勘違いも甚だしいんだよね。強い選手が勝つ、それを応援している自分も強いっていう幻想。利権も無いのに自民盗を貧乏人が応援するってのもそういう構造だろ。そのスポーツの経験者だと、だいたい勝敗の原因がわかってしまうので非難なんてしないことが多いんだけど、引っ掻き回すのは要するにシロートさんなんだよ。知識のないバカものが感情で行動して結果的に場を荒らすという。
 白鳳女学院に敵意を燃やす他校の生徒のあり方もちょっとねぇ。日本の学校制度に近いものだったら、中学一年の立場で高校三年の先輩の屈辱を見てたんだったら、5年の出場停止、6年目での停止解除だったら、中二中三高一高二高三で抜けてしまいやしないか?というのは置いとくにしても、そもそも白鳳自体がレースに強そうなところでもなさそうだし、今一心意気的に陰湿なものを感じてしまう。
 いや、もうスポーツなんて競技内容がなんか抽象的なものが多いんだが、それこそ重い荷物を持って運ぶレースだとか、決められた時間内、藁で縄を長く撚るレースだとか、まぁ今となっては動力使ったほうが効率的ではあるんだが、競技自体を具体的に人の役に立つようなそんな見え方のするものに変えちゃったら?と思ってしまう。天測航法なんてその最たるもんだろ。