猫神やおよろず 第9話

 ナンプラーラーメンの社長・社員の顛末は如何に…。
 繭が地上に降りてきたときのお話。全編シリアスモード。可愛らしいキャラにちょっといゝエピソードで飾り付けるという構造は中身の無い萌えアニメの典型なんだけど、さすがにこゝにいたるまでの蓄積があるので中身が無いというわけではなかった。
 しかしなんだな、こうやって繭の立場を考えてみると不思議だな。この物語が仕事観を提示するものであると言っているんだけど、繭は八百万堂(人間界)に関しては柚子の後見人でもあり、居候でもありで、もちろん繭自身は八百万堂に関してはノータッチだ。別に繭が柚子の上司だとか部下とかという関係ではない。
 むしろ神様の領域で言えば、繭はあれだけダラダラしてはいるものゝ、繭を社長とするトラブルシューティングの請負いをやっている団体と考えることができる。笹鳴やメイ子は中堅社員、芳乃は新入社員ってところだろう。いやもちろん繭がそういう商売をしているってわけじゃなくて、あくまでそういう風に見なせるってだけだけどね。そして繭と柚子の商売がオーヴァーラップしているってわけでもない。たゞ、じゃぁなぜ繭を中心とする神様たちは、そして繭たちと柚子はつながっているのか?を考えると、これが例えばカネを媒介とする雇用-被雇用関係じゃないんだよね。いや、じゃぁなんで繭は柚子にメシを食わせてもらってるの?とか考えると決してカネの介在がないわけでもないんだろうけど、繭が秘術を使ってカネもしくはモノを柚子に与えているわけでもない。で、柚子はたぶん料理を一人分作るよりはちょっとしたアップチャージで二人分作っていて、で、骨董屋としての商売がそれほど儲かっているとは思えず、かといって繭に見返りを求めているわけでもない。もちろん繭周辺の神様も繭の人格(神格)を慕ってきているだけで、そこにあまり貸し借り関係は想起されない。生活を成り立たせるための基礎の部分が御都合主義的ではあるんだけど、かといって貧乏しているってことでバランスはとっているんだろう。
 そしてそのようなカネ以外での繋がりもまた本作の主張のウチの一つなんだろう。今回お休みだった社長と社員も、別に会社が潰れたからといって、あの小西克幸声の社員が社長を見限ったワケでもなさそうだし、やはりカネ以外のプラスアルファ部分について視聴者に考えさせるって構造になっているんだと思う。まぁ組織のまとめ役がハラスメント、つまり理不尽を部下に押し付けるというものからはかけ離れているわけで、そこらへんもありうべき関係を提示してるんじゃないかな。他者にストレスをかけないがゆえに関係性が維持され、相互相補的なものになり、それは決して個人が孤立しているよりはるかに過ごしやすいってワケだ。