GOSICK 第24話

 本当にアブリルは引き立て役だけだったな。
 ん〜、やっぱ1925年に開戦ってのは無理があるんじゃ?。出てきた兵器とか、どう考えても現実には1940年代に登場したヤツだろ。日本がまるで大空襲にでもあったような廃墟振りを示していたが、これまたそれだけの破壊力のある兵器が短期間に開発・実用化されたってことになるので、そこらへんどうも気になった。
 終戦後の国王のエピソードが今一だったほかは、さすがに積み上げてきたモノの集大成といった感じで涙腺がゆるみっぱなしだった。ブライアン・ロスコーは双子化してしまったゝめに、どうも小物化したような雰囲気だな。神出鬼没、手口を明かさない巧妙さで、ミステリアスな魅力がウリだったと思うんだが、それが失われていた。が、最后で彼らの情念を描いて人間化していたように思う。
 久城・ヴィクトリカの邂逅まではこれまたねちっこかったな。出会った頃の二人はそれはそれは子供っぽかったんだけど、そしてかなり直前まで子供っぽさは抜けてなかったんだけど、逆にそういう相手の幼稚さを目の当たりにし、葛藤、受容という過程を示しているだけに、彼らがお互い深く理解しあった存在であるってのが示されていたのかな。自分も最初の頃はガキの幼稚なケンカを見せられてヤレヤレとか思っていたのだが、なるほどこうやって最終回を迎えてみるとちゃんと理由があったんだなと思わざるを得ない。仮に彼ら二人がちゃんと距離を保った大人の付き合いってのをし続けていたら、きっと深い仲にはなっていなかったと思わせるだけの何かゞある。
 しかしなんだな、髪の色が抜けるってどんな意図があったのかね?。ブライアン・ロスコーが死に、そのショックがあまりにでかくてってわけでもないだろ。自分が思いついた中で一番可能性が高いと思っているのは、彼女が素直に久城を受け入れた証としての変化とも思えるんだがなんともな。引き揚げ船から下りた久城が真っ先にヴィクトリカに向かってくるところとか、もうね、再会した二人に余計な言葉は要らない…といった勢いも含めてカンドーのエンディングであった事は間違いない。


 さて、総評なんだが、基本満足だったってトコかな。上述の通り、序盤の頃はなんじゃこの幼稚な物語は!と思ってしまうぐらいだったのだが、まぁ確かに成長余地と言ってしまえばそうなんだろう。が、二人とも物語の進行につれて徐々に大人になっていくのではなく、運命に翻弄されて一気に成長したといった感じに見えた。いや、もし後日譚があるとすれば、相変わらず幼稚な喧嘩ばかりする二人の姿がってこともありうるんだけどな。いや、きっとそうだろ。そういった意味でいうと本作は推理モノというよりも、もうベッタベタなメロドラマだったな。で、大のオトナが視聴してこっ恥ずかしいというものではなかったってのがある意味意外。
 で、自分が気にしていた科学と宗教(オカルト)の対決って構造も、結局よくわかんなかったな。例えばオカルト省がなんでソビュールを戦争状態にしたかったのか今だに想像がつかない。宗教が戦争を起こすってったら、教義的ななにかゞ普通あるだろ?。で、最后ロジェが戻ってきて、これから科学の時代だとか、何言ってんのといった感じだ。
 たゞ、ヴィクトリカが理性、久城が感情といった対立構造であって、それが科学と宗教(オカルト)との対比という風にも考える事は出来るのだが、それもワケわかんないって言ったところだ。ヴィクトリカも幼稚なところがあり、それも感情に分類されるわけで、どちらかと言えば生まれからして愛を渇望していたヴィクトリカという器(肉体)に久城という熱血(魂)が宿り、二人が互いに不可分の状態になるといった構造のほうがまだ近いといえるだろう。最終回が離れ離れになった二人が感動の再会を果たすといった流れに終始していることから、やはり構造的な何かゞあるとか、時代・社会背景を示すといったことなどは、もうホントに修飾要素に過ぎないような気はする。かといって薄っぺらいというものでもないし、なんか不思議な作品ではあるよな。まぁ推理要素は「世の中を生き抜いていく知恵」みたいな位置付けではあったと思うんだけど。
 というわけで、評価はそう迷うこともなくおもろ+だ。最初の頃は除くとして、なんか物足りない回であっても、次回の話を視聴するのに意欲が減退するってことがあまりなかった作品だった。OPは2クール通して同じ曲・絵だったのだが、自分はそのほうが確かに良かったと思う。まぁエピソードもそうだが、小道具も含めて重層的な組み合わせがなされていて、丁寧な話立てだったとは思うよ。