荒川アンダーザブリッジ×ブリッジ 第13話

 金星行きの話はどうなったんだ?。
 というわけで最終回。王様ゲームの〆に願い事を水に流す場面とか、雰囲気が打ち上げっぽかったし、EDが前期のものだっただけに、多分続編はなさそう。
 最終回という割には話が散漫な感じで気恥ずかしさを感じるぐらいだったのだけれど、原作は連載が終わってないのかな?、そうだとすればまとまるってものでもないだろう。結局第2期はバカ騒ぎに重点が置かれていて、それを踏まえただけだろうし。しかし、最終回で「空回りする村おこし」の台詞が出てきたのに驚いた。Wiki中村光の項を読んでみたが、静岡県伊豆の出身で、山奥育ちらしいので、河川敷というコミュニティはどう考えても村落共同体を意識したものだと思わざるを得ない。
 結局ニノの過去は明かされなかったのだが、シリアスモードがあまり挿入されなくなり、バカ騒ぎを眺めて楽しめるようになってきたあたりでどうでもよくなった気はする。村長が政界からの逸脱者、マリア・シスター・ステラが戦場からの逸脱者、シロがサラリーマンからの逸脱者、星が芸能界からの逸脱者、そしてリクが財界からの逸脱者になろうかと思う。鉄人兄弟とP子がよくわからないんだけどどうなんだろう?。ニノは河川敷の住人が全員日本人だから、それから逸脱する外国人って考えるのがいゝのかな。というわけで、近代を構成する要素をかなぐり捨てて自給自足(多分完全にはしてないと思うんだが)の道を選んでいるわけで、否定とは言わないまでも近代からの逸脱をかなり意識していると思わざるを得ない。
 もともとが、リクの貸し借りの息苦しさから始まった本作品なのだが、いざ終わってみるとそんなものは胡散霧消していた。誰かに何かをしてもらったからそのお返しをしなくてはならない、もしくは人に何かをしてもらうために恩を着せるというものがなくなっていたように思う。が、この概念自体が村落共同体になかったか?と言われゝば、そんなことは全く無い。リクが現代社会に疲れて河川敷に漂泊してきた際、ニノや村長はリクががんじがらめになっており、助けが必要な状態であったことは一目見てわかっていたと思う。が、リクが今まで過ごしてきた環境とはあまりに違ったものを目にし混乱した際、彼らはリクの戸惑いを上手く受け流し、自然に受け入れた。こゝには貸し借りの概念は見当たらない。
 前期では河川敷の危機が訪れるのだが、これをリクがなんとかしようとしたのはやはり貸し借りの要素があったと思わざるを得ない。が、結局村長の工作でなんとかした。河川敷の危機を演出したのはやはり貨幣経済の力であって、リクの父の「カネさえあればなんとかなる」というものゝ否定であったのだと思う。そしてそういうことを意識して振り返ってみると、完全にとまでは言わないが、河川敷の生活では貨幣経済が注意深く排除されていることに気付く。
 結局近代以降貨幣経済が異様に発達し、カネという「それを使って願いをかなえることのできる権利」というものを近代人は手に入れていくわけなんだが、それに伴って共同体が破壊され、個人分断化が進んだ。そして孤立化した個人がそのカネという権利を手に入れて、いわゆる「幸せ」とやらを獲得できたのか?と言われゝば、どうもそうではなかったらしい。むしろそのカネに振り回される生活に追いまくられるという結果になってしまった。いや、まぁ近代以前の日本に貨幣経済が無かったか?と言われゝばそうではなかったし、カネが全く必要のないモノだとは思わないんだけども、生活に必要最低限の財が得られるのであれば、そのための労働をしさえすればよく、わざわざカネに過度の執着を示す必要もないし、自分の属する共同体で楽しく過ごせるのであればそれでいゝんじゃネェの?って主張なんじゃないかと思った。
 うーん、実は自分にとってこの作品っていうのは始終フックが不足する作品ではあった。が、一旦視聴し始めると巻き込まれる。特に前期は問いかけが執拗に行われていたのでこちらも身構えることができたのだが、今期はそういうのが少なかったせいかパンチが効いていないように感じた。が、やはりこうやって振り返ってみると、なかなかにして練りこまれているように思う。萌えは極力排除されているし、そういった意味では一般受けしそうなもんだけど、何せ描いている舞台が特異だし小難しそう。まぁ言ってしまえば中二病的な作品だ。が、これは万人に見て欲しい作品ではある。そういった欲目もあって、評価はおもろ+。