そらのおとしもの 第13話

 力はどのように使うべきか。
 いや、猿のように繰り返し見てましたよ。前回より大泣き。そりゃ別れの部分なんてメロドラマのあり方そのものだし、仲間のためって主張もこの作品の逆説的売りの中二病的ではある。が、なんだろうね?、若い時のメロドラマを見た自分と、今の自分では見えているものが違うということに今さらながら気がついたよ。今までのバカエピソードの積み重ねが、ちゃんとラストの描写につながっていて、ヘンに感心した。

人間は、本当に欲しいものを、誰かに与える(プレゼントする)ことを通してしか、手に入れることができないのである。

 こういうのもちゃんと練りこまれていたが、今のテクスト物の流行なのかね?。とにもかくにも、雑破業マイユア以来の作品って感じがした。
 イカロスを救うために兵器を肯定する*1くだりの処理もキモでしたね。知ってたという智樹の台詞から、イカロスが自分が兵器であることに苦しんでいたことを、なんとかしてやりたいと常々思っていたらしい。そして、ハーピーの襲来は、見方を考えれば、そのイカロスの苦しみを取り去ってやることができる、ありえないほど出現の確率が低かったチャンスそのものであったわけだ。フィクションとはいえ、これは美しいよね。
 そして、平和だの友情だのといったキレイ事を守り抜くためには、力が必要だってことも重ねられている。これ、イカロスの力がなかったら、ニンフも助けられないし、イカロスも連れ去られていただろう。理不尽な力に対抗するためには、それを上回る力が必要でありってのは、やはり現実を見据えていると思われる。無力でもできる限りのことを尽くすって台詞もあったしな。
 というわけで、第1話での「権力とは」という問いかけで始まった割には、おちゃらけ描写もあって単なるおふざけアニメか?と思っていたら、そのおふざけ部分にも意味が込めてあったり、中二病的願望というよりは、厳しい社会環境にまで繋がるってことまで描写されていて驚いた。まぁ今までのエントリーでうだうだ言及したけど、見終わってみれば説明は丁寧になされていた。わかりやすいけどしつこくないし、感情的でありながら、抑制も効いていてバランスもとれていたと思う。
 あと、やっぱり特筆すべきは音楽性だろう。音楽性というよりはEDでわかるとおり、歌謡曲的な何かを重視していた。日本のポピュラーミュージックは'70年台から始まった、シンガーソングライター方式が定着しており、一時期作曲作詞歌手の分業式が廃れた。そして、それが復活したのがドラマやアニメの主題歌という形になっている。そして、ドラマなどの内容とリンクしながらも、独立した曲としての完成度もそこそこ考えられており、それがアニソンの隆盛の一因ともなっているワケだ。
 そしてどうやらスタッフは歌謡曲性に愛着があるようで、OPにもEDにもこだわりを感じた。EDの一つである、夏色のナンシーだとか、初恋だとか、歌の出だしを聴いた瞬間目が覚めるような思いをしたものだ。選曲者は自分よりは年上っぽい感じがするな。
 OPのRing my bellは自分みたいなオッサンが素で歌ってみると、もう自分で聞いてもつまらん曲になってしまって、あれ、いかにメインVo.の吉田仁美が表情をつけて歌っているかについて思い至って感心したりしたよ。早見沙織(11話)も音程を外さないだけの歌いかただから、自分的には媚び媚びであっても吉田仁美のほうに軍配を上げる。まぁ練習すれば早見沙織でも表情をつけて魅力的な曲にできるんだろうけど、そうするだけの時間はないだろう。
 EDのそばにいられるだけでもこれまた魅力的だ。メインが主旋律だけを歌うんじゃないんだよな。まぁOPもそうだけど、三人で歌うと効果的な作りになっていた。これ、メインVo.を殺さないよう、サブは抑えてあるけど、ハーモニー重視ヴァージョンも聞いてみたいと思った。
 そんなこんなで、まぁこれはなかなかにして自分的ヒット作ではありました。見た目とか、エロっぽさからいうと一般人にはとても勧められないけどな。穿ったまとめかたをすると、弱者が傷を舐めあっているような部分もあるが、今の時代、共感を呼ぶ部分はとても大きいと思う。感想サイトさんだと、初めの数話で見切った人が多いような印象を受けたが、泣きアニメが好きな人はもったいないことをしているなぁとつくづく思った。おもろ+。

*1:というより、兵器であるイカロスを肯定なんだろうが