菅家利和さん(左端)に深々と頭を下げる宇都宮地検の幕田英雄検事正(5日午前)。検事正は「無実の菅家さんを誤って起訴した。長い間苦しめたことについては検察としても非常に重く考えている」と話したという
考えてみれば、責任者がそれなりの責任を取るのはごくごくあたりまえなんだけど、だからこそ宇都宮地検が並外れて優れているってわけで無くって、やるべきことをサボらずにやったってだけだわな。ところが東京地検特捜部は違法性の無い人間を血祭りに挙げておいて、それで、責任者が謝罪をするか?って言えば、するはず無い。
警察もそうなんだけど、濡れ衣を着せられた時点で、容疑者は社会的な信用を一切無くすわけなんで、事実誤認ということになったらそれこそマスコミが責任者を晒し者にして、容疑者の名誉回復を図らなきゃならないのだが、警察・検察を手なずけた自民党自体がやらせ、捏造でこの国を牛耳ってきただけに、正常化への道のりははるかに遠い。
謝罪というのは一般的に、謝罪する方がされる方を訪ねるものではなかったか。また、検事正という役職はもちろん重職だが、かれはあくまでも宇都宮地検の責任者であり、検察全体の最高責任者はあくまでも検事総長だ。
このような場合、検事総長が自ら菅谷さんのもとに出向いて謝罪することで初めて「検察が謝罪した」ということが満天下に示されるのではないだろうか。今のままでは単なる「宇都宮地検の過去の不始末」を現役の検事正が詫びて「尻ぬぐいした」程度の話で終わってしまう。そして責任者の処罰はあいまいなままだ。
そして菅谷さんの云うとおり、当時の担当検事が謝罪すべきなのだ。「あの時はベストを尽くした」とその人は思うだろうが、19年経ってそれは間違っていたことがはっきりした。だからこそ菅谷さんは今社会に戻っているのだ。
過ちを認めるのは恥ずべきことではない。認めない行為こそが恥ずかしいのだ、と私は思う。
全くその通りだと思う。