なんつーか、

 アタックNo.1の感想を書こうかと、勤務中もぼんやり考えていたんだけどダメだった。まぁ仕事が忙しいというか、あれほど確認したのに管理職は合意までして最後でひっくり返してくれるわけで、なんかね。別に業績に繋がる仕事だけやれってわけでもないが、全然業績にも、その下支えでもない仕事に血道を上げられて、で、気分でころころ変えられちゃぁな。相談する気も無いくせに迷うなよと。時間を作っているのは私なんですけど…って仕事の適切な割りふりとか、タイムキーパーって本来管理職の仕事では?。
 とまぁ、本郷や猪野熊のような上司を持つこずえをうらやみながら、やっぱり高度経済成長期の成果が現れ始める当時のことに思いを馳せても、あぁ、余力も無いのにフル回転してたんだなという感慨以上のものは思い浮かばず。当時ヴェトナム戦争真っ盛り、中華人民共和国との国交正常化前夜で、マッハGoGoGOに時期が近いので国際的な雰囲気もあったよなと思う次第。現在のほうがよっぽど気軽に海外に行けるんだけど、当時のほうが海外に対する憧れが強く、まぁその分お花畑でもあったんだろうとも思うけど、金に頼らない交流ってのを真剣に考えていた時期だったんだろうなと思わされたぐらい。
 あとは、全編に漲るせっぱ詰まった生活感だよな。中卒で働かなければならない風潮がまだ残っており、バレーを続けるにも会社に入って実務を担当せねばならなかった時代。ニートやフリーターが全くあの時期いなかったとも言い切れない*1んだが、基本働かなければ食えなかった時代だ。確かに今の日本はここ15年ほどは景気がずっと悪かったわけだが、それでもこの作品の放映当時よりは飢えるってことがまだ少ないような気がする。
 実は昭和33年 (ちくま新書)を数週間前に読了している。あの当時の「金の卵」である中卒労働者が都会に出て来たのはいいものゝ、就職先は零細・小企業であり、イジメも酷く、一日14〜15時間労働で手取りも少なく、いくら高度経済成長期の始まりといっても今とは比べ物にならないぐらい労働環境も悪かったと書いてあった。最近よんだ西岸良平三丁目の夕日も、中卒で万年筆工場で働く少女が、中学の時から心を通わせあった大学生と結ばれるってエピソードが終わったばかりなんだけど、労働環境の厳しさを前知識として知っていると、確かにアレはノスタルジーを美化した作品ではないんだろうなというのを感じる。アタックNo.1で、途中退場していったライヴァルたちも、後々は厳しい現実が待ち受けているんだってのが視聴者の共通認識であって、決してスポーツだからといってお遊びって感覚ではなかったのだと思う。感想を書き始めたときから言及はしてきたのだが、そもそもバレーを続けてやれるってこと自体がすごく恵まれているわけであって、今のように余暇の時間をクラブチームで楽しむだのって余裕はなかったわけだ。当然部活動だって、生半可な気持ちで取り組むんだったら早く帰宅して家業の手伝いぐらいやれって感覚だったろう。今みたいに家業を手伝うでもなく、かといって部活動を真剣にやるのはかったるい、親から与えられたこずかいでやれカラオケだのゲーセンだので暇つぶしって時代ではなかった。携帯電話代は別でな。
 で、バレーを続けられる幸福な環境にあるわけだから、遊び半分でやられちゃぁ共感を得られないわけだよ。で、しごきに耐える姿が延々と描写されるわけだ。人から指示を与えられてその通りに動けばいいって楽な考えではなくって、こずえ自身がバレーの意義とは何か考え、自分自身が行動指針を考えていく姿を見せつづける必要があるわけだ。まぁ恵まれた環境を与えられたからといって餓鬼がその状況に感謝してより真剣に取り組むってのがタダの幻想ってのは確かに見せ付けてくれたわけではある。
 っつーわけで、どうも厳しい環境、恵まれた環境の二項対立以上のものは思いつかなかった。しかし、GyaO最終回レビューページに結構あったように、スタッフはこの作品を単なる娯楽ではなく、かなり多角的な視点で重たいメッセージを込めている事はわかった。正直この昭和TVでは、マッハGoGoGoヤッターマンも途中半分ぐらいで飽きてしまっていたわけだが、この作品だけは(数話ダれたかな?と思った回もあったが)最後まで緊張が続いた。当時は大人が一人で視聴するような風潮は無かったと思うのだが、子供をダシにしても大人は魅入っていたんじゃないかと思う。テキスト部分では視聴者に媚びて支持を得てやろうってのが見受けにくいんだよな。

*1:マイティ6とかそうだよな?。いや前にも言及した通り平日は勤労青年だったのかもしれないが。