夏目友人帳 第13話「秋の夜宴」

 田沼の察しのよさも大概だよな。
 できる限りの範囲でオールスター集合。子狐のイジメ役も出ていたが、概ね和みの様相だわな。今までのおさらいというか集大成で、夏目の骨折りがどういう社会として結実するのかという一つの答えみたいなもんだろう。で、それはかつてあった社会。ニャンニャンという単語を恥ずかしいというあたり、時代が知れるというもんだが。
 結局レイコ自体に焦点が当たることが少なかったような気がする。冒頭でレイコの回想が流れてきたときに、てっきり今後も貴志がアヤカシ助けに奔走して、そのご褒美として過去のレイコとアヤカシとのかかわりを見せてくれるものとばかり思っていた。
 で、レイコがなんでアヤカシを友人帳に記したら後はほったらかしだったのか?ということに対する理由の一つが、それとはなしに今回示されていたのかな。以前にもそういう感じはしていたのだが、少数の助けを求めている人に手厚く関わるのではなく、とにかく困っている人をたくさん助けるという方針。貴志は少数に手厚くかと思っていたら、そうというわけでもなかった。
 で、たぶん少数に手厚く関わるとどうなるのかが、笹田に示されているのかな?。いや、夏目は笹田をウザがってはいても決して嫌っているわけでもないんだろう。フツーの萌えアニメだと恋する二人の閉じた世界を描いて終わりだろうから、そういうのを好む向きには不満だろうが、よくよく考えて見れば、これは全員が居心地良く過ごせる社会を目指しているわけだ。夏目を一人に縛り付けて、あとはほったらかしというわけにはいかない。で、長い目で見ると笹田も夏目に依存させてオシマイにさせるわけにもいかない。
 もう一つの軸が塔子さんで、これは関わりすぎをやんわりと否定していたわな。もちろん塔子さんの言動が全員に居心地のいい社会をつくっていく要因の一つであることは確かなのだが、そのやさしさが却って相手を萎縮させてしまうというのが、夏目が本当のことを言い出さない理由として挙げられていた。
 そういったわけで、決して、優しい世界を描写して「これイイダロ?」と言っているだけではない作りってのはなかなかだと思う。節度があるというか、適度な距離感ってのは何か?というのが、例えば見守るが決して余計な関わりをしないヒノエなんかの描写にも現れているわな。すべての描写に意味付けがなされているんだろうなとは感じた。人間やアヤカシの言動にしたって、彼らにはこういう履歴があるからこういう態度なんだよという。