マクロスFRONTIER 第20話「ダイアモンド・クレバス」

 キャサリンは何でレオン逮捕に失敗した時に父親に連絡しなかったのか?。
 うーん、劇的な展開ではあるんだけど、いろんな要素が(たぶん意図を隠されて…かな?。)飛び出していたので困った。この作品のテーマがまだよくわかっていないせいか、それに集約されて色々なエピソードが配置されていると思えない…というか、それすらよくわかんないので、感想も書きにくい。この作品全体を束ねるテーマがあるのかすらわかんない。いわゆる「他人のために自己を犠牲にする」などのお泣かせエピソードですら、何の目的があってそこに配置されているのかも、現段階ではよくわかんないというか。あとで全部が繋がっていくというものかもしれないし、そうでないかもしれない。安直にストーリーを構成しているといって、今非難すべきなのかどうかもわかんない。が、ちょっと思いついたことを羅列してみたい。
 歌についてだが、かなり意地の悪い提示のしかたである。まず、ランカの歌に対する思い入れは、前回までで自分の個人的な欲望の表出であるという点が披露されており、アルトに受け入れられないと思って歌うことが、バジュラを止められないことにも現れている。そもそもバジュラ攻略のために自分の歌が利用されることについて自覚的ではなかったし。
 シェリルも、退避壕での歌唱以前には、やはり全能感を得るという認知欲にも似た個人的感情からのものであった。歌姫として売れるまでには、本当に歌と自分との関係性を問い直すことなく、必死に技術を磨いてきたのだろうと予測される。で、そのまゝ何の疑問もなく、しかし、売れたのは実は他人のバックアップがあったという面もあり、いきなり歌う舞台から放り出されるわけだ。で、前回までで自分を見つめなおす時間が得られ、今回アルトの台詞で開眼したという流れになっている。今まで有頂天になっており、シェリル自身は達成していたことを実は本当はわかっておらず、諭されることで整理をし、ちょうど捉えなおした結果を偶然披露する機会が得られ、一歩を踏み出す…といった、挫折を通じて成長する姿が描かれている。事件的にはランカの歌がバジュラを止めることが出来なかったこととクラン×ミシェルラインの事件性の大きさに隠れてしまっているように見えるが、ミュージカル仕立てがウリの本作では結構重要なポイントのはずだ。
 で、意地が悪いというか、退避壕で披露されるシェリルの歌が、大衆の混乱を収める…という描写が必ずしも肯定的に描かれているのか?と言われれば、そうでもないっぽく見えてしまうのだ。ランカの歌が敵の戦意を挫く効果があり、シェリルの歌が混乱した大衆を鎮める効果がある…即ち人間の心理をコントロールする効果がある*1という事は、それを悪意を持つものが利用することもできるわけで、そこらへん歌はいいものだとも危険なものだとも主張していないように見えるんだが、どうだろう?。
 ミシェルの処理も、今までの彼の軽い男振りと、その理由が前回までに述べられていただけに、なんとも胸にクるものがあった。単純に考えると、この後のシェリルとランカのアルト争奪戦におけるアルトへの心がけ指南という要素はあるが、いかんせんアルト自身はあまり女に興味があるわけでもないという描写なので、なんとも話作りのための捨石要素のような気がしないでもない。確かに必要なことではあるんだが。
 で、シェリルの歌うダイアモンド クレバスの歌詞がなんともうまく組み合わされていたように思う。前半は神様を「自分をスターダムに載せ上げてくれた幸運の女神」とでも読み替えれば、今までのシェリルのことに一致するように思うし、後半はクラン×ミシェルのことに一致するように見える。いかんせん、歌詞がはっきり聞こえるような歌い方でないので、ちょっと残念だが、ストーリーに集中することを阻害するかもしれないので、これぐらいがいいのかも。
 ランカに生き別れの兄がいたということにあんまり意識していなかったのだが、小さい時の記憶がないという設定にも理由があるのかね?。どうもブレラがそうであることでFAのようだが。ブレラは自分をサイボーグとかアンドロイドと言っていたような気がするが、記憶違いかなぁ?。よく勘違いしているので自信がない。まぁブレラがたばかられているという可能性が高いような気がしますが。
 うーん、やっぱ推測の域を出ないことが多くてなんとも不思議な視聴後感だわな。人の気を惹きそうなエピソードを余所から取ってきて切り貼りしているだけの薄い作品のようにも見えてしまうし、なんのかんの言って結構深いものが隠されている作品のような気もするし。後者だとしてもはっきりした主張という形をとっていないので、なんとも不気味ではある。勝手に自分がそう判断しているという風になってしまいがちだよな。
 

*1:ブレラが強制命令モードがうんたらと言われていたが、ちょうど若者にヒロポンを打って特攻させた日本軍のように、どうやって命令を聞かすのかどうかという視点はありそう。ヒロポンが歌にとって変わっても構造は一緒だ。