アタックNo.1 第50話 愛情の平手打ち

 子供の使い方がうまいわな。
 試合中にダブルアタックをすることにこずえが抵抗をなくすのは、精神面の安定があったからというのはなるほど。反面、大沼やみどりは自分の役割はきちんと果たしているのに、練習でもうまくいかないダブルアタックを試合に適用するのは無茶だと主張するのも、結構味があって面白い。清水は清水で、女心は割と把握して適切に対応できていても、バレーについてはいまいちな発言ってのも、これはこれでうまく考えられている。
 実際の仕事をしてみるとなんとなくわかるのだが、新しい試みをいきなり現場で適応というのは結構直面する問題である。練習で完成度をいくらでも高められるという場面は少なかったりする。本郷の場合は一見無茶と思われても、試合ではやっぱり正しいというフィクションになっているが、現実はもっと厳しく、経営者(政治屋)や管理職が己の出世欲で実際には害にしかならないことを現場に押し付けて、あまつさえ成果すら求めてくるわけで、そういう仕事に従事している層にとってはダブルアタック完成までの無茶が実はそうでもないことに気づけるという構成にはなっている。
 一之瀬の産直にとうとう妨害が。今でこそ食品価格は下がっているものゝ、昔はかなり食費の家計における割合、すなわちエンゲル係数は高かったわけで、今と同じように考えてはいけないのだろう。
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 このリンク先の参考にあるグラフを読み取ると、戦後の1945年の60%を超える状況ってのは特例としても、高度経済成長期の'60の42〜43%、'65の38%と続き、この作品の放映時に近い'70は34〜35%と、依然高水準である。このグラフによると日本はバブル崩壊後の'95ぐらいから23〜24%と低位で安定しているようだ。
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 を見ると、2000年のエンゲル係数は14.7%と、上の基準とちょっと違うようだが、エンゲル係数が昔は今の約1.5倍だとして、タイやメキシコなどの中進国もしくは発展途上国と同じ水準といっていいだろう。
 今でこそ、家計における食費の割合がこれだけ少なくなっているんだから、もうちょっと農産物価格が高くてもよさそうだと考えてもいるんだが(その代わり光熱水費、ガソリンなどのエネルギー価格はもっと低くあるべき)、そういう条件で昔を考えてもいけないだろう。今の高卒の税込みの初任給が16万ほど、あの当時だと28000円ぐらいだったらしい。給料でいうと昔は五分の一以下だったわけで、大根一本30円ということになると、今の感覚だと150円ぐらいということになる。これでも一之瀬は安く提供していたという描写なので、普通の八百屋だともっと高く売っていたというわけだ。季節や相場にもよるが、今大根一本100円ぐらいで買えると思うので、当時は値段の半分ぐらいを中間業者が中抜きしていたというわけだ。だから今回の描写で一之瀬を襲った二人は売り上げの半分をよこせといったのにも合点がいく。八百屋が売っている売り上げの半分は中間業者の取り分だからそれをよこせというわけだ。一之瀬にとっては普通200円で売るところを100円で売っていたわけで、その売り上げの半分をよこせというのは不当な言われだろう。
 さて、そういうわけで、産直が大手スーパーで取り入れられて一般化する頃はバブル崩壊後で、むしろ食費が家計を圧迫しなくなる時代になってからだというのは皮肉だ。この作品の放映当時は産直方式で生活必需品の価格が半分から三分の二になることは、かなり一般家庭にとって助かる話で、一之瀬の努力は評価されるべきのものであろう。中間業者はむしろ生活必需品にしがみついて家計から搾取する存在であったわけで、なんかえげつない気はする。むしろ彼らはバブル崩壊後に生活必需品にしがみつくべきではなかったか?。まぁこれは交通事情の変化による流通のあり方にもよるわけで、一概に何が正しいと言えるというものでもないだろう。スーパーが独自の流通ルートを持って初めて実現可能だったかもしんないわけだし。生産農家から農協、そこから青果市場、一次卸のほか、ひどいときには二次・三次卸をはさんで小売に流れていたわけで、今卸がどこに行ったのかを考えてみる必要はあると思う。
 まぁイメージとして、今食費が一人一日1000円として、昔はそれが(今の貨幣価値にして)1500円ぐらいの感覚だったというわけだ。食費は多人数だと効率化できるので単純な比例関係にはできないのであるが、例えば高校を卒業してスグ結婚したとして、高卒の初任給15〜16万のうち手取りが12万ぐらいだとして、二人が食う食費として月4〜5万かゝっていたとする。その食費が6〜7万していた*1のが昔(これだとエンゲル係数は一気に50%でちょっと現実味がないが。それでも前出の数値は貧乏人も特権階級も合わせての数字だろうから、下流民のエンゲル係数が依然として50%を超えていても不思議ではない。)であったわけで、そりゃ一之瀬の低価格戦略は主婦層に受け入れられたというのもわかる話だ。反面それは中間業者のおまんまの食い上げになるわけだが、その中間御者にしたって当時は独自流通ルートをもっていなかったスーパーにも零細小売にもどちらにも卸していたわけで、追い詰められていた零細小売にとっては、中間業者こそ小売を苛めている張本人でもあったわけで、一之瀬を襲った業者を悪者に描くのは大勢において間違いはないと思う。

*1:これに家賃、光熱水代、そして当時は下流には自家用車を持てなかったわけで、職場への交通費を入れるととてもやっていけなかったに違いない。