図書館戦争 第5話「両親攪乱作戦」

 最後に種明かし。持参品だったんだろうね。
 父ちゃんの漢っぷりの回。主人公が男なら、父と衝突して母がこっそり援助とかそんなの?。まぁ普通でした。




さて、
 自分も図書館戦争 第04話「図書司令官ヲ奪回セヨ」 - エネルギー吸収と発散さんとこのようなイメージは持っていたんだけど、どうもな。ノイタミナ枠なら、一般客も相手にしなくちゃなんないわけで、あまり煩雑にするわけにもいかないんだろう。リンク先の情報ではそれなりの世界観が設定されているようで、深いものを求めたいのならば原作を読めってことなんだろう。正直自分もその深いほうの話に興味を持ってしまうので、このまゝ視聴し続けるのも微妙だと思っている。
 仮にこの作品がドラマ化されたとして、原作のような深い話を主要キャラに客寄せパンダ俳優を持ってきて作っても、きっと一般人ですらそっぽを向くんだと思います。また、このように原作をヌルくしたところで、アニメ版を一般人が見るようになってくれるか?というと、やっぱ無理なんじゃねぇかとも思ってしまう。
 そして、原作通りの小難しい話をアニメで再現した所で、萌えキャラ目的や小難しいお話を遠慮するアニオタを切り捨てることになるだけかな。今のだめやモノノ怪とか振り返ってみても、やっぱ一般人の取り込みには失敗しているんじゃなかろうかと。なんつーか、統計の取りようもないんだけど、のだめにしたって、ドラマ版とアニメ版の視聴者層が重なっているとはとても思えないもんな。そう考えると、アニオタ以外の取り込みというのは無駄な努力であって、展望のない条件で奮闘しているスタッフを責めるのはちょっと酷かなという気はする。




 結局実写ドラマを好む視聴者ってのは、「自分に近い存在」を求めているのかな?とも思う。同じウソでも、より実体験に近い感覚を求めるというか。そうなるとアニメなんてのは実写ドラマを好む層への訴求力がそもそも存在しないと考えるべきか。デフォルメとかオーヴァーアクションとか嫌われる要素にしかならないというか。どうせ妄想にすぎないんだったら、奥深く突き進んで欲しいという気はするんですけどね。でもテキストスタッフにしてみれば、自分たちがアニメに求めている以上にその部分を表現したいと思っているんじゃないかな?。キャラ先行型の視聴者とテキスト読み込み型の視聴者の両方が楽しめるような重層的な作りというのを求めたいところであるが、ノイタミナ制約を考えると黙らざるを得ないというか。
 もしかすると、慣らし部分が終わって、これから「戦場が図書館である必然性のあるストーリー」に突入するかもしれないので、もうちょっと我慢したほうがいいのかね?。