きょうの というより今週の いきいきホットラインは

 温暖化について。自分の意見を一言言わせて貰えば、「温暖化バンザイ」。ちなみに地球の温暖化といっているのは日本だけらしい。世界的には気候変動(climate change)というのが一般的らしい。
 きょうの放送では植木等が1991年に歌ったという地球温暖化進行曲というのがワラタ。蛇口をひねればお湯が出てというので笑えるのだが、牛乳が粉ミルクになるってのは強引過ぎやしねぇか?とツッコみたくもなる。が、所詮温暖化を皮肉る歌なので、どうもすっきりしない。
 なんというか、1993年米騒動をもう忘れたのかねぇと。あれの原因が冷夏だったじゃねぇかと。ちょっとぐらい地球の平均気温が高くなってくれたほうが、むしろ好ましいですわ。
 これまでの気候の移り変わりに、氷河期からの地球の気温の推移が載っていてなんか参考になる。で、今から約6000年前は今に比べて平均気温が2〜4℃高く、住みやすい環境だったらしい。

ヒプシサーマル期(気候最適期)
 6000年前までに,全地球的に夏の気温が現在より2〜4℃高い期間が始まった。この頃,夏の太陽からの放射量は現在より4%多く,冬は逆に4%少なくかった。黒点数から見た太陽活動も,この時期,非常に活発であった。7000〜5000年前までのこの温暖な時期をヒプシサーマル(hypsithermal)期,あるいは気候最適(postglacial climatic optimum)期と呼ぶ。このころの氷床の著しい縮小にともなって,氷期以来低くなっていた海面は一気に上昇し,現在より数m高くなるに至った(縄文海進)。魚津の埋没林(富山湾)のように,大陸棚が水没した。アフリカから中近東は現在より多雨で,現在のサハラ砂漠は森林に覆われていた。亜熱帯高気圧は北に偏り,中緯度は現在より乾燥していたらしい。

 日本ではこの頃,年平均気温が2℃程度高かったと評価されている。日本におけるヒプシサーマル期の気候帯を見る。6500年前には照葉樹が自生するのが可能な,暖かさの指数85以上の地域(照葉樹林気候)が秋田県沿岸まで達していた。またコナラに代表される暖温帯落葉広葉樹林気候も東北地方のほとんどを覆うまで広がることになった。関西や東海地方の山にある雑木林が東北で見られたのだ。植生の拡大・北上はこの温暖化にはなかなか付いていけなかったが,それでも6500年前には照葉樹が,西日本の低地で爆発的に広がることになった。大阪に照葉樹林群落の拡大が到達したのもこの頃である。また,海抜で見た森林限界も300〜400m上昇した。

 ちなみに冷夏だと割となるほどと思われる歴史的事件が起こっているらしい。

古墳寒冷期
 日本や中国では3世紀〜7世紀の間,天候が悪化し,冷涼化,降水量の増加が続いた。この時期は中国や日本の歴史の中でも戦乱が多く混乱した時期であるが,その原因がこうした気候の冷涼化が契機となったという見方もある。戦乱,そう,中国では三国志の時代,日本では倭国大乱の時代なのだ。日本ではこの時期を古墳寒冷期と言う場合もある。これは,太陽活動が不活発になった時期とおよそ一致する。

 西洋などではフン族の移動、もしくはそれに後押しされるようゲルマン民族の大移動が起こっている時期。有体にいやぁ寒冷化で作物がとれず、食い詰めものが争いに明け暮れた時代。

氷期
 太陽の黒点が少ないことは太陽活動が不活発なことをしめす。13世紀以後,この太陽の黒点が急に少なくなり太陽活動が不活発な時期が繰り返してやってくるようになった。その時期は1300年頃,1460〜1550年,1660〜1715年,そして1800年前後である。1300年頃の極少期をウルフ,1460〜1550年のそれをスペーラー,そしてとくに西暦1660〜1715年のおよそ70年間の太陽黒点がほとんど無くなった顕著な黒点極少期間をマウンダー極少期(Maunder minimum)という。

 この3つの時期は,サクラの満開日から推定した京都の気温(図1)の低かった時期とかなりシンクロしている。サクラの満開日による3月の京都の気温は冬季の気温にかなり似た傾向を示すと思われるが,やはり,この太陽活動の不活発な時期は,世界的な気候悪化,寒冷化が見られた時代と,全般に一致するようだ。西暦1300年以後,1850年までのこの期間を,小氷期(Little Ice Age)と呼ぶ。この時期には各地で氷河の前進が起きた。日本でも西暦1300年を過ぎると気候悪化が生じて降水量が増え,濃尾平野などでは河道変化が繰り返された。

 特にマウンダー極少期とその次の極少期にあたる1600〜1850年の寒さの程度はものすごく,小氷期をこの時期に限定する場合もある。この時期,日本では大雪,冷夏が相次いだ。淀川が大阪近辺で完全に氷結したこともある。大阪の河内地方ではそれまで盛んであった綿作が,気候寒冷化・降水量増加にためにイネ・ナタネに転作を余儀なくされたらしい。そういえば,この時期の大坂城代が雪の結晶を観察,絵にしているという話を聞いたことがある。そんなこと,現代では北海道でしかできないのでないか。ともあれ,この時期,とくに19世紀初頭は寒かったらしい。日本では小氷期のうちでも最も寒冷な期間,たとえば1830年代と1980年代を比べると冬や春の平均気温は2℃程度,京都に限ると3.4℃も現在よりも低かったと推測される。

 「1600〜1850年の寒さの程度はものすごく」なんて、江戸時代に凶作や飢饉が多かったことを考えると、たしかに納得するところが多い。つまり、寒冷化だとロクなことは無ぇというわけだ。温暖化バンザイだよ。
 いや、化石燃料を無駄遣いするなというのは賛成なんだけど、温暖化を食い止めろってのはバカなんじゃないかと思う。んHKも民衆を惑わすのをやめてもらいたい。