ef - a tale of memories. 第2話「upon a time」

 無人なのに、やけに手入れのいい廃駅。
 というか、全体的に背景に他人の香りがしないんだよね。キャラクターに集中させんがために、要らないものは徹底排除ってのはわかりますが。監督は新房昭之ではなくて大沼心と書いてあった。前回のタイトル部分を確認するとたしかにそうだし、エンドロールでは監修新房昭之となっていて、勘違いをしていたっぽい。
 登場人物の少年キャラがほぼ全員文学青年っぽいんですが、設定にちょっと無理はあるものゝ、思春期特有の悩みとそれなりの真面目さが同居しているような気がした。自分を見つめきれてないのはむしろ少女キャラのような気がして、これは前回同様イタかった。というか、そういう切り分けをすることにあまり意味はないんだろうとは思うが。
 今回最後にガガーン!とばかりに千尋の記憶障害というカミングアウトがなされた。いわゆるドラマの中でよく使われる一時的な記憶喪失だけでなくって、現実にも結構症例があるっぽい。ただ、物を食うとか生物としての行動一般、習慣に関する記憶はなくならないのに、個人同士のコミュニケーションをはじめとする、社会的要素に関する記憶が保持できないという感じなので、心因性といった感じかな。13時間という話だから、例えば麻生くんのことであれば、間歇的に思い出すことを繰り返して記憶を保持しているとか?。
 今回も演出バリバリでした。人間から直接影が伸びているのは、霧でもかゝってないと観察できないハズで、そうでないのにわざわざつけられているってことは、何らかの意味がもたされているってことですかね?。時々白黒になるのも、特に何かに集中させたいとか、何らかの意図があるとは思えなくって、意味わかんね状態。背景の色使いは結構考えられているっぽいが。キャラが喋っていたが、別になんらかの色が足りないわけではなさそうな。むしろこれだけ暗い色調なのに、色を加えてしまっては美しい背景が台無しとか。いや、現実はいろんな色が混じりあって、決してきれいなものではないというのが言いたいというのであれば、それはそれでいいとは思うんですがね。あとEDで鎖モチーフが多用されていたのも今後の展開に関係してきそう。
 というわけで、もうバリバリ物語は動いていそうなんですが、まだ自分の中では世界把握で精一杯。視聴している間中漂う陰鬱感が実は心地良いんだけど、空回り気味に演技している少女達の物言いとのアンバランスさは、狙ってイタイタしさを協調しているのか、それとも作品全般に流れる雰囲気の調整に失敗しているのかは判断つかない。先ほどの記憶障害にせよ、なんらかの社会的要素とのリンクも今はみえづらいので、視聴にしんどいアニメのような気はする。単純に中二病と判断してよいものやら。