地球へ… 第24話「地球の緑の丘」

 やっぱり急ぎ足という印象が。
 地球にとって人間がガンであるということ、人間の欲望は抑制されなければならないというのはそりゃそうなんだが、じゃぁ、人間とミュウとが相互理解をすることとの関連は良くわからない。人間同士が相互理解すれば解決する問題なのか?。人間の果てしない欲望が昇華なり抑制されない限り、事態は余計酷くなりはしないか?とも思うんだが。そこらへんまで踏み込んでは描かれていなかったように思うが。キースの言っていたシステムに瑕疵があり、これからは我々が考えていかなくてはならないというのもよくわかるが、唐突のような気がしないでもない。後半独裁者のような描かれ方をしていただけにことさら。
 こうやって終わってみると、個々の事象が小さく感じられて、大きなテーマが迫ってくるのはさすがというべきか。自分は原作や映画版を知らなかったので、結構的外れな指摘をしていたとも思う。あらためてWikiを読んでみると、原作とも違うようには見受けられる。
 この作品の連載開始が'77ということだが、'70年代は結構政治的に穏やかな時代だったと思う。'60年代には国民を無視した政治やベトナム戦争があり、学生運動も華やかなりし頃だったわけで、このころの批判勢力がミュウとも考えられなくもない。だが、権力層にキースのような考えを持っていた人間はいなかったとは思うが。で'70年代を通じて左右の対立は消化していく…というか左が弱まっていく。
 で、この時代にこの物語を展開する意味を考えると、やっぱり同じことの繰り返しになるんではないかな?とも思う。自民党はいまだに国民のほうを向いて政治なんてしておらず、そこらへんグランドマザーの考えにすら到達していない。で、自分たちの都合のよい愛国教育とやらを仕向けているところだけは一緒ではある。ミュウにしたって民主党がその考えを代弁していると考えるには遠いような気はする。まぁ竹Pがそれぞれを日本の政党に代表させているとも思えんが。
 SD体制との関連を考えてみると、日本のムラ社会だと、わりと構成員が無駄な我慢を強いられていたところもあったわけで、'77といえば、そういう村落共同体の崩壊時期だとも思うんで、古きよき日本を維持してきた欲望抑制システムといえなくもないのかな?。しかし農村の過疎化なんてモノは起こっていたわけだしなぁ。
 結局今までうまく機能していた(と思われる)システムが古くなったから、自分たちで考えねばならない、そしてご老人は去って下さいってのが今も通用するメッセージなのかな?と思わなくもない。あんまり考えてもせん無いことというか、原作以来優れた評論は他の人が行っているだろうから、私の頓珍漢な解釈なんぞ気にしないで下さいとしか。
 アニメーションとしての出来も悪くなかったし、泣ける場面は数え切れないぐらいあったし、その分だけいろいろ考えさせられる問いかけってのは豊富にあったように思う。ちょっと展開が早すぎと感じるし、その分メッセージを消化しきれないで先に進まれて違和感を感じることもあったのだが、それはあんまり私にとっては減点対象にならないかなとは思っている。土6の割には結構切り捨てている層も多いような感じはした。おもろ+で。