ながされて藍蘭島 第7話「にゃんだって、お師匠様/見たくって、さくら」

 猫が「人の手も借りたい」って。しかも行人は役立たず設定だし。
 Aパートは結構構成がしっかりしてましたね。もしかするとお師匠様がすずと行人の距離を縮めるために配慮したんかな?と思いながら見てたんですが、そういう視点はなかったような気がする。Bパートはちょっと意味がわかんなくて首をかしげるところが多かった。北のぬしがさびしそうなのは描写の必要がなかったような気がするんだが、一行が無事に森を通り抜けることができた意味付けのほかにも何かありそうな気がするのだが、それが読めない。
 だんだんレギュラーメムバーが目に慣れてきました。ちかげの影が薄いと思ったら、次回は彼女の当番回なのかな?。
 ぬし決め合戦は集落間の接触から共存までの歴史的変遷の結果の1つなんか?と思いながら見ていた。集落の周辺に誰も存在していなかった大昔ならば、気兼ねせずに自分の組織を拡大できたと思う。しかし集落どうしが接触すると、当然生存権をかけて争いがたくさん発生していたことだと思う。自分の組織だけに限って生存・拡大方針をとる限り、どうしても対立組織との潰しあいになったはずなのだが、力に任せて相手と戦っていては双方が疲弊したことだろう。無益な争いを避けるためには、自分の組織の無鉄砲な拡大方針をやめる&相手組織との共存を選択せねばならず、そうなった時には、主導権を握ることの証であるぬし決めは必然的に形骸化したことだと思う。
 その結果が、相手の命を奪わないスポーツ形式での形式的統治者決めなのであり、もちろんゲームという形をとって参加者が楽しむということになれば、双方が交流を深めることにも繋がっていく。人間の攻撃性をスポーツに昇華させつつ、かつ交流も深めるってのは、現代の代理戦争ともいわれるオリンピックにも繋がるのでは?といろいろ考えさせられた。
 なんつーか、昭和初期までは日本各地に残っていた村落共同体の、貧しくもそれなりにお互いが共存できた時代でこその考え方だよね。むしろ現代日本は物理的な力ではなく金の力で他人の財を収奪し、自分は権力層にとどまりながら多数の他人を奴隷として使役する、原始奴隷制という有史以前の時代に逆戻りしてんじゃねぇか?と思ってしまうのだ。
 別に遠くに行く必要がなければ車など使わずに自分の足で歩きゃいいんだし、豪華なものを欲しがらなきゃ生活に必要なものは村ぐらいの小規模な範囲でも充分やっていける。生きていくのに本当に必要なものは、欲をかかなきゃそんなに要らない。現代の先進国ってのは精神的にはむしろ退行してんじゃないか?。いや、そんな寝言を言っている私は、文明の利器であるコンピュータを使っているわけなんですけどね。