いきいきホットライン

 今日も仕事はおしたものの、目が回りながらもほとんど残業回避。いや、冗談でなく目が回っていたんですが。そのおかげでほとんど聞けましたが、半分以上が上の空。んHKはばっさりサイトを切っちゃうので明日の分も引用。

【家庭で科学を見つけてみませんか?】ゲスト:内田麻理香(科学ライター)
●物理や化学は得意でしたか?不得意でしたか?なぜですか?
●理科の科学実験だけは面白かった?そうでもなかった?なぜですか?
●子どもの「教えて!」に、「もっと理科の知識が欲しい!」と思ったことがある!?

【科学する心とは?】ゲスト:浅川智恵子(日本IBM主席研究員)
●科学が進歩した社会は怖い?そうではない?それはなぜですか?
●21世紀の科学は、どんなことに役立てたらよいですか?
●女性こそ、科学の時代で頑張れる!そう甘くはない!あなたはどちら?

 今日は家庭の科学のほう。どうなんだろう、理科以外の科目は訓練から入るけど、理科は興味付けから入るから後々になって嫌われるんでは?。科学実験が面白かったって、そりゃやってることは刹那的な遊びでしかないからなぁ。結局面白かったという言葉しか出てこないことに集約されてますわな。理科以外の教科では決して面白いとか面白くないとかという観点では語られないもの。
 子供に教えを請われて、科学的知識が欲しいかどうかなんてのも、問題設定の仕方からして示唆的ではありますわな。理科的なものにもそういうことはあるんだけど、文系的なものはそのときの時代背景とか状況とかによって答えに至る理屈・道理は様々変わるんだけど、理科的なものはほぼ一意的に答えが求まるんだよね。理科の知識が欲しいといっているのは決まりきっているはずの答えがわからない、つまり自分はバカといっているのと同義で、知識がないのは単にサボっているかバカなのかのどっちか。まぁ自分は理科系の学科を出ているんだけど、文科系の友人と理科的な話でも盛り上がれるし、文科的な話でも盛り上がれる*1。たぶん高卒の知識が基本として身についていれば、それからプラスアルファで如何様にも自分を拡張できるんではないだろうか?。
 まぁ先ほど挙げたとおり、理科的なものというのはちょっと条件を与えてやればほぼ一意的に答えが求まる場合が多く、すなわち過程を理解しなくても結果だけを都合よく拾うだけで対応可能なのが、理科的素養を身につけなくても生活できてしまう現実を作っているのではないかと。すなわち、結果を得るのに自分がえいこらと考えなくても、自分以外の誰かにやってもらえばいいわけであって。今ではコンピュータがあるのでそれに任せっぱなしにすればいいだけの話なわけですよ。
 ヘンな話ですが、たぶん新聞を賑わしている理科離れとかというのもおかしな話で、その場合の理科とは一体何をさすのか?と考えると、「理科」と聞いてやれ物質とかエネルギーとかまぁロボットとかを連想してしまうのが、これまた間違っているわけで。本来理科が扱っているものが自然界に存在する物質であって、文科が扱っているものが人間の精神性なんて捉えるからいけないのでありますよ。理科の理は物事のことわりの理であって、先端技術とやらをさすのではないのですよ。因果律を理解したり、いや因果律そのものを研究するのが理科なのでありまして。わかりやすくいえば、物事がわかること・わかっていく過程そのものが理科なのですよ。
 「文転」なんて言葉が高校のときにはありましたが、結局科目によって強弱はあるけど、全教科に理系素養と文系素養の両方が必要で、文転というのはあらためて言うほどのもんじゃないけど「逃げ」なんですよ。だっていわゆる文系科目が得意になったから文型科目を強化するためじゃなく、いわゆる理系科目に手が回らなくなったから理系科目を捨てるために異動するんでしょう?。
 だから文系理系と分けてしまうのがおかしいわけで、誤解を恐れずにいえば社会人としての素養としては両方要るんですよ。ただし、文系と呼ばれる科目(および算数。といっても今ではレジ打ちだって計算できなくても勤まるのは便利ではあるが、どうかと思うよ。)は最初っから遊びとしてでなく訓練として扱われるから鍛えられるけど、理系と呼ばれる科目は初めっから遊びとして扱われ、訓練になってきた途端毛嫌いされるから、むしろ幼い頃からのハードルを上げてやったほうがいいんじゃない?。そして逃げ道を安易に用意するから楽な方向に逃げるんであって。
 大学入試に小論文のみ実施ってのがありますが、文系的素養も理系的素養も両方ない、はしにもぼうにもかからないバカでも日本語だけは出来るから、日本語能力の大小で人を選別するのであって、決して小論文のカテゴリー自体が文系ってわけではないんですよ。本気でやれば小論文で文系的素養も理系的素養も見抜くことができるし、それらのバランス感覚を持っているかどうかも含めて受験者を選別できる。もちろんハイレベルな選別を実際に小論文で行う大学もありますよ。だけど、頭のいいやつを選別する小論文方式もバカなやつを選別する小論文方式も外目にはまったく区別がつかないので、レベルの低い大学も目くらましにもなるし、そもそもまともな問題をやったところで得点分布が低い受験者ばかりでウンザリ…というわけで、大いに活用しているのではなかろうかと…ってこれもわざわざ書き記すこともない内容ではございますが。
 というわけで、ま〜た長々と書き連ねてまいりましたが、結論として「あたりまえのこととして出来ていないといけないことから逃げるのはもうヤメにしようよ。」ということで。理科的素養をすっぱいブドウ扱いしていると、本当の文系の方々に失礼ですから。

*1:あまりに専門的過ぎるとダメでしょうが、話すときにも相手にわかりやすい表現を選びあうし、相手の補足的説明があればほとんど言っていることが理解出来る。難しいことがあってもものの喩えで大抵のことは理解可能。