仕事での充実が得られないから愚痴るのか?

 と考えてしまうと身も蓋もない訳ですが。んHKラジオ第一夕方の番組のテーマに憤慨したものの、結局何が言いたいのか。男である私は女の幅寄せで昔より生きにくくなっているのかなぁ、というのが実感でして。実際に女と対面してやりづれえなぁと感じるだけでなく、下の世代を見てみると男女関係なく使える人間がどんどん少なくなっているような気が。いやぁ私自身が使える人間かというと、ダメ人間なので人のことを言えないわけですが。
 それで女をこき下ろそうと考えては見たものの、男のダメさ加減も見えてくるわけでして。じゃぁ性差によらない社会の擾乱要因って何なの?と考えたときに、高度経済成長からバブルに至るまでの間に人間の欲望に歯止めが効かなくなったのがそれでないの?と考えるわけです。バブルが崩壊して、欲望に対する反省がなされたのかというとそうではなくて、欲望の強い人間が欲望の弱い人間から奪い取る構図が固定化してきたのが今までの状況ではないかと。成果主義然り、リストラという名の首切り然り、市場主義という名の親の総取りシステム然り。バブルのきっかけとなった大店法以降、政治が大衆迎合型の多数決主義に変化しているような気がします。しかも大衆はそういう構造に気が付いているとしても欲望のスパイラルという無間地獄から抜け出すことができない。
 愚痴っていてもしょうがないので、どうやって変革を期待したらよいのか考えてみた訳です。一つの可能性として若い世代を鍛えることによって構造を少しずつ変化できるかもしれないといろいろ考えて見たのですが、その世代自身が消費行動にどっぷり漬かっている(餓鬼という。昔の人はよく言ったもんです)ことから状況が絶望的であると今更ながらに気が付いて愕然なわけです。
 若手の育成にどのような教育が有効なのか、そのために社会をどのように変えていかなくてはならないのか、上の世代が何を我慢し、何を創り出し、下の世代に何を与えるのか具体的に考えてはみたのです。しかし結局のところどれも小手先か、そうでなくても大勢は支持するはずもないということが見えてきて考えるだけ無駄なような気がしてきました。
 アニ感でも書き殴って、慎ましやかに楽しく過ごすってのが無難なんでしょうねぇ。でも本質から逃げているだけと糾弾する自分もいてまたやっかいなんだこれが。