氷菓 第21話

 ヴァン・ホーテンの粉コヽアからの手作りはダメなのか。
 と思ったが、チョコレートはむしろカヽオ豆→カヽオマスの工程を経なければダメらしい。ちなみにコヽアパウダーは、カヽオマスから油脂成分を取り去ったカス成分らしい。まぁおからから豆腐は作れんわな。
 主人公の友人福部が恋人(気取り)の伊原の求愛を正式に受けるかどうか悩むの巻。話立ては伊原の作ったチョコレートが盗まれた、その犯人は誰か?といったものだが、これは主人公や伊原でなくても大抵の視聴者には予想がつく作り。ではなぜか?というその理由がむしろ本筋なのだが、これがわかりにくい。福部のコンプレックスもしくは不安がその理由のように思えたが、なんつーか高一程度でこうも人生を達観したかのような理屈をつけるかね?と思わなくもない。とはいえ、この作品がジュブナイルとしては中高生向けだとしても、成人以上にも楽しめるように作ってあるため、そのへん福部の悩みを成人以降の悩みにも重ねてきたと考えても良いし、福部が思春期特有の、ちょっとした大人への背伸び、中二病を患っているみたいな設定にしても別に支障はないとは思う。
 今教育格差がわりと話題になることが多いが、家庭の資産格差による文化的な蓄積が出来る云々を考慮に入れたとしても、地方の進学校にいて、才能云々を今から絶望する段階ではないのでは?とは思う。確かに才能が家柄の持つ資産格差に依存はしていて、おかしな話だが戦前よりずっといろんな可能性は広がったはずなのに、実は社会的に重要なポストは貧乏人には閉ざゝれているという時代になっているのだが、可能性が大きくなっていることから理論上は才能は選択を間違えなければ割と伸ばすことは出来るようにもなっている。原作の出版が割と昔のようなのでアレだが、確かに特権階級でなければアクセスできないところは確実にあるのだけども、今はネットの普及で貧乏人にもかなり大量の情報に触れることができるような時代になっている。別に福部の悩みは普遍性があるから、それを描くことには意味はあるんだけど、解決方法は豊富に用意されてきているので、この描写自体は時代遅れになる可能性は高いような気はする。