神様はじめました 第13話

 やっぱり瑞希の笛は鉄板だな
 飛び出した奈々生、自己解決。あと、神楽で物の怪を退治できる理屈がわからん。おそらく神楽はあめのうずめのように神を光臨させるためのものだと思われるので、退治自体は神の力に拠らなきゃとかという気がするが。いやまぁミカゲが手助けをした時点でそれが叶っているといわれゝばそうなんだが。
 うーん、結局最終回まで視聴し終えてなんかもどかしい思いがしてる。どうもこの話の進み方だと、主軸はどう考えても恋愛方面である。自分は今まで神(物の怪)をモチーフとした作品を目にしてきて、だいたいが神意を掲げて人々、もしくはそれらが構成する社会を維持するために人間(主人公)が努力するものが多かったので、これも人助けメインなのかなと思っていた。物語の類型はちゃんと押さえていて、そのへんの「物語の構造」自体には問題がないんだけど、ではなんで、この作品のキャラクターがいろいろなことに翻弄され、なんとかなっていくのか?という点については、そのへんのドタバタの理屈付けが今一なされていなくて、戸惑うばかりだった。
 が、よくよく考えてみると、原作のターゲット層はおそらく社会問題には関心がなくて、こういう恋愛事にときめきを感じ、生活に潤いを持たせるんだろうなと思うと、そういう人助け云々は確かに物語を辛気臭くするものでしかなく、なるほどゝも思ってしまう。
 つらつら考えてみれば、社会問題というのは社会システムの問題であって、神というものはむしろそういうものとはかけ離れた問題なんじゃないかという気がする。天候の不順や疫病の蔓延など、人為ではどうしようもないと考えられてきた事柄に対して神々に縋ってきたわけで、例えば人間関係のもつれだとか、搾取構造による不幸ってのは、それは人為によって引き起こされるものであるからそういうものは人為によってなんとかすべきであって神の領域ではないというもの。実際にこの作品で奈々生がトラブルシュートに関わったのは、物の怪だのといったものであって、あまり人間関係には突っ込んでないというか。
 そういう意味では、自分に降りかゝってくる災難だとか自分に関しての恋愛だとか、徹底的に奈々生は自分の事情に振り回されもし、また周囲を振り回しており、そういうのはじゃぁ自分がそういう境遇に陥った背景であるところの社会問題が…という風には考えない層あたりには非常によくマッチするというか。自分の関心の及ぶ範囲がせいぜい身内か友人関係であって…というかそれで精一杯だろうとは思う。で、社会問題に対する言及なり考察がないからダメか?と言われると、たしかにそれは全く無くって、正直そういう社会システムに庶民が関われるわけでも、そもそも影響力を持ちえるわけでもないってのは今の自民盗政治をみてると痛切に感じるわけで。そりゃ自民盗は自分に都合よく利益が誘導できるようにシステムを組むだろうし、そのシステムで苦しむ人々がいようと、それが神によって救済されなきゃならないわけでもない。いや救済されてしまったら、困ったときの神頼みになってしまい、人間が人間の作ったシステムを考え直すことをしなくなってしまうわけだ。まぁそれはどうでもよいとしても。
 まぁそういったことを念頭に置くとしても、じゃぁ奈々生が土地神として得た力を何のためにつかったか?という用途を考えると興味深い。使おうと思えばいくらでも我田引水できそうなその力を、狭い認識範囲のなかだといえども何か役に立つように使っているわけだし、私用に使うにしても、それが人に迷惑をかけるような使い方はしてない。奈々生が悩む恋愛関係にしても、それで振り回されるのはいわば家庭内でおさまっているわけであり、それで力を使うにしろ使わないにしろ、他人を犠牲にするってことがない。そういう配慮が貫かれているわけで、まぁそれは本筋ではないし、じゃぁ生活を楽しむために恋愛を主に据え、失恋などですらイヴェントゝして楽しむ?というか、暇ではない生活の1シーンとしちゃおうというのはまぁそんなものかと思ってしまう。
 うーんなんだろ?、結局日々を生き生きとすごすためにはシチュ重視かよ!という気がしないでもないが、案外それが本質なのかもな。出世とか名誉だとか、今ではそんなのは人と人との関係において優劣をつけることが前提になっていて、例えば本当の意味で他人の役に立つ人物が人の上に立つって場面がなくなってしまっているんだよね。出世したい、名誉を受けたいという人物は、他人を打ち負かしたり犠牲にして成績を上げたりして、むしろ世の中の害になるような連中しかいないというか。そういう他人を犠牲にする人は、人助けするような人間を喰い物にして成り上がるもんだから、ますます社会がギスギスゝるわけであってさ。モノが足りない時代には、たくさん作ってふんだんに供給することが人の役にも立つわけで、そういう時に販売実績が多いってことは、モノが足りない人々に与える能力が高いと評価されるんだが、このモノ余りの時代、販売実績が多いってのは、それだけ人に必要もないものを売りつけている、つまり人を騙して買わせたり、押し売りしてるってことだからサ。
 まぁそんなふうにこむずかしく考えなくとも、他人に必要以上関わらず、自分が満足する範囲で楽しめばよいし、その範囲はどこまでか?、自分が発揮しうる力や及ぼすべき範囲はどうかとか、そんなことも考慮に入れた上で、いや人と人との繋がる基本が恋愛(から始まる家族関係)っていうのが主張とでもいうのなら逆に感心してしまうんだけど、そういう意図でこの作品が作られているわけでもないだろうからな。
 とまぁ、自分的には初期の期待感が終盤に削がれた感じではあるがいちおうおもろ+ということで。一通り見終わって、こうスカッとした感覚はないんだけど、ダラダラ見続ける分には非常に楽しめるといったところ。大地丙太郎なだけあって、退屈はしなかったんだよね。というか原作がよいのかな?。最后のシーン、神使としての契約を、恋愛相手としてみるんなら奈々生は受けちゃダメだろと思うんだが、一連の流れを奈々生の思いを巴衛が受けたという結末にしたというのであれば続編はないのかな?。神だとか物の怪間のトラブルシュートでもよいからそういう方向性のを見たいとは思うものゝ、これが限界かも。