さんかれあ 第10話

 萌路が次号予告でふてくされてたのは出番が無かったせい?。
 前回萌路回で一回休みだったので、メインストリームの続きから。団一郎&亞里亞が壊れるまでの顛末。結構納得して見てた。亞里亞が構ってちゃんというのがちょっと大人気なかったのだが、団一郎は若い頃はむしろ気高い人だったという。家柄や財産に溺れず、とっつきにくそうではあるんだが、理想の人格者という描写。生類憐れみの令で有名な徳川綱吉が若い頃は賢君だったらしいが、もしかしてこんな感じだったんだろうか?。
 普通の物語だったら、団一郎はあれほど変質狂的でなく、理想の父親になりましたって流れにするんだろうが、こういう失敗例もありますよといった提示で、これはこれで面白い。若い頃の苦労は買ってでもしろということわざがあるが、時代が変化して、企業の中堅やトップ層が加減も知らずに若者を追い詰めてどんどん若者が壊れてしまっており、まぁそれまでの教育もどうなの?って保留事項はあるんだが、若いときに苦労をしたから必ず成長するわけでもなく、失敗例も多いよって構造に似てゝ、なんとも気の抜けるお話だ。亞里亞もその自己意識過剰な自信はどーなの?って前提はあるんだが、彼女の今までの行動を見てもそれはそれで思い遣りのあるものになっており、彼女が壊れる原因に彼女の悪意だとかそんなのがあるわけでもない。団一郎や亞里亞を憎むべき対象としてヾザインすることも可能なんだが、単純なお情けともちょっと違った設定作りになっていて唸らされてしまった。