ゼロの使い魔F 第10話

 女どもがわがまゝじゃない!。
 いきなり訪れた危機と才人の死(虚無の魔法)設定、そして味方陣営の犠牲の連続で…と盛りだくさんだったが、こうやって羅列すると安っぽい。が、案外悪くないんだよな。味方の死はフツーの三文芝居だと、観客を泣かすための目的に堕して、死の瞬間までを盛り上げて引き伸ばすという手法が良く使われるのだが、これはあっけらかんとしてた。
 つまり、二人?の犠牲は手段であって、目的は別のところにあるってことだろう。剣の退場は才人が一人前になった証だろうし、坊主の退場は後進に道を譲るということだろう。特にピンときたのは、坊主のありかたはすごく誠実で、日本の失われた20年の間の特権階級との対照だろう。バブルが崩壊してその責任者たる官僚・政治屋・経営層が責任を取ったか?と言われゝば、全然違う。自分は権力の椅子にのうのうと居座り、罪のない従業員を切り捨て、人件費を切り詰めて利益を出したのを成果と言い張って役員報酬を上げてきたというクズとの対比だ。そこらへん東電の社長のように辞めるにしても少しでも権力者の椅子に少しでも長く居座りたいのとは反対に、坊主はスグ決断して、自分に責任はないのに若者の楯になって犠牲になった。あの坊主が自民盗議員だとか、空き菅・野田だったら、若者を見殺しにして自分だけ逃げ延びているだろう。
 もうあと残りも少ないということでギャグもあまり無かった。というか、自分はあまりこの作品にギャグを期待しておらず、時折男の子向けサーヴィスとしてのお色気に見せるドン臭さが今一品を落としてるなと感じていたのだ。まぁお色気部分は大歓迎なんだけど、もうちょっとスマートさというか、さりげなさが欲しかったといえば贅沢か。今回も駆け足感はぬぐえなかったんだけど、キャラ処理がうまかったせいか、この話は単体として鑑賞できるようなものになっていたと思う。なんとなくだけど、あと2話のために今まで無理をして話を削ってきたのかな?という予感がする。