あそびにいくヨ! 第7話

 あくまで胸の大きさで引っ張るのね。
 うーん、状況設定は安直だなぁ。国交樹立までの道のりをそれっぽく描いてくれても面白くなるとは思うんだが、仲良く遊ぶってことにこだわっているのかな。自分なんかは大学の時に笹本祐一にハマって、彼の描くありえそうなサイエンティフィックウソフィクションにワクワクさせられていたんだけど、やっぱあぁいうノリは'80年代であって、今さら感なのかな。まぁ確かに'80年代のノリを再現してしまうとドライブ感まっしぐらで、上滑りする危険性が高い。もう'90年代以降、科学だの生産性だのが人類を豊かにしてくれるという幻想から覚めてしまって、むしろそれらは庶民から仕事や人間性を奪うものとして認識されてきているわけで、だからこそ本作のようにマターリ感覚を押し出す作品が生まれてきたのだとは思うが。
 で、原作者の神野オキナって、沖縄出身・在住の作家なのな。背景で示される沖縄の風景は、自分が訪問した時を思い出させてくれるので感慨があるのだが、なんか複雑。聖地訪問で話題になる作品群は、わりと舞台をさりげなく配置していると感じるのだが、これはやたら沖縄アピールが強くて、鼻につくってほどでもないけど、ちょっとしたやりすぎ感があるように思った。まぁさすがに原作者の責任ではないとは思うんだけど、本作だと舞台が沖縄である必然性がないわけで、要らぬ観光案内をされている感じ。いやでも沖縄という言葉から連想させるものを一視聴者として期待もしてしまうわけで、これはなんか自分でも評価が難しいというか、判断し辛いな。
 さて、前置きが長くなったのだが、物語は恋の鞘当てあたりがクライマックス。少女漫画に接していなかったアオイが少女漫画で少女らしさに目覚めるってのはアリなの?という疑問が沸々と。工作員としての時間が長かったわけで、それに染まっているもんだろとか思うわな。クロコダイル・ダンディーじゃないけど、田舎モノが都会に出てきても大抵は故郷での習慣が現れてしまうとかそんなの。アオイがあんな風になっちゃうのは、過去にやっぱり少女漫画らしきものに触れる機会があって、無意識にでも憧れるものがあったなんて設定がないとゞうにもな。アオイの感情の噴出も流れに沿って視聴してれば、可愛い女の子の溢れる想いの表出ってことで微笑ましくも思えるんだが、冷静に考えると思い込みの激しい困ったチャンじゃんかと。その点エリスは大人というか、いやアオイはエリスに負けてるジャンかと。エリスはキヨのおゝらかさに惹かれているとか言ってたけど、エリス自身も十分癒しキャラじゃんか。まぁ視聴者としては不器用だけど一途で初々しいアオイか、馴れ合ってほんわか楽しそうなエリスか、後、他にも魅力たっぷりのヒロインの誰を選ぶ?って楽しみ方をすりゃいゝんだろうけどなぁ…。まぁ萌えアニメなんてこれでいゝんだろうけど、自分としてはもうちょっと芯のしっかりしたテーマが欲しいというところ。