有害経営者や管理職が審判を受ける日がようやく来るのか?。

 バブルが崩壊して以降、不景気なのは労働者のせいだとかいう、経営者向けのやたら国民を見下した論調が蔓延してきたが、労働者を切り捨てゝ来た結果、さらに景気が悪くなり、どうも労働者ではなく、経営層が有害であった、無能ですらなかったというのを結果として厳然と受け止めなければならない日がやってきた。
 システムが無くなった日 魚拓

結局、工場は閉鎖されることになりました。

あまりそこらの知識がないので詳しくは知りませんが、資産(と人)は様々な別の会社に買い叩かれて、会社が潰れた、という形にはなっていないそうです。

不景気だから、という理由が全面に出されて工場閉鎖の知らせが私のところにもきましたけども、そもそもの理由はシステムの切り替えに失敗しているという事実を私は知っています。

『何が悪かったのか?』というのは今となっては色々と問題があると思うのですけど、システムのコストを下げる際に、これ以上のコストダウンは操業が停止する可能性がある、という警告をお客側が無視したというのが大きいと思います。お客側と言っても、工場で働く作業員やスタッフではなく、たった一人、工場長(社長)の一言なのですが。

ではその社長は今はどうしているのかと言えば、関連会社の別の工場長として働いています。

私が何が言いたいかと言えば、それは、マスコミは不景気というひとくくりの中に色々なものを原因として、失業や過労死、自殺が起きるのだと言っていますがそれは違います。たった一人の人間の軽率な考えが多くの失業者や自殺者、過労死を生むこともあるという事を知ってもらいたいのです。

 工場のシステムを請け負ったが、切られることになり、その後現場で悪戦苦闘していたが、人材を無駄に消費して工場が潰れた、それもたった一人の愚かな管理職(経営者)のために、ってお話。なんかシステム会社の宣伝のような話でもあるが、愚か者の独断で周囲が甚大な被害を受けるってのは自分の職場でもあることだ。他人事ではない。言いたい事はコメ欄にあったので抜粋。
 システムが無くなった日 魚拓

この話で一番救われないのが


ではその社長は今はどうしているのかと言えば、関連会社の別の工場長として働いています。


実は、これなんだと思う。その社長が関連会社の別の工場長としてのうのうと働いている、っていうのが、日本の現代の現実をかなり皮肉的に投影していると思う。
権限と利益と美味しいところは自分たちがかじり、リスクは全て弱者にしわ寄せさせて「自己責任」と押し付けて、自分はのうのうと逃げて責任を取らないという。

 で、こういうエントリーもあって、
 愚かさは罪なのか - reponの日記 ないわ〜 404 NotFound(暫定) 魚拓

アイヒマン実験」という、人はどういうときに屈従するのかについて行われた実験があります。


人は、「自分は役割に従っているだけ」「自分は大義の道具に過ぎない」と思うと、どんな過激なことでも出来る

 なんつーか、浅いというかなんというか。そんなのタテマエに過ぎない事は、大抵の大人だったらわかっているだろうと。結局出世とか保身とか、そういう自分にとって利益になることと、犯罪行為とを天秤にかけて、その犯罪が露見するしないなんていうリスクを計算して行為に及ぶだろうに。そういうものゝ積み重ねが例えば人を切り捨てゝ不景気とかになってんだろ。いかにもやってはいけないこととわかっていても、良心を最大限に発揮して心が折れちゃいました、テヘみたいな、いかにも自分は悪くないなんて言説が癪に障る。

現場の人間の責任も問われるべきではないか、と。止められる場面はあったのではないか、と。


しかし、たぶん無理だったのでしょう。現場の人間は、「システムの道具」だったのでしょう。



ひとりひとりはそのことに違和感を覚え、また、工場長の決定に不安を感じながらも、「仕事」を行わざるを得なかったのでしょう。



愚かな判断が、多くの人命を奪い、また希望を失わせ、心と体に深い傷を負わせた。



その判断の具体的執行者である従業員たちは、同時に被害者でした。だから、その苦痛を知っていました。



その間、「暗黙的なサボタージュ」などの抵抗があったのかもしれません。



けれど、結果だけ見れば、アイヒマンの裁判に照らせば、「彼らにも罪があり、償わせるべきだ」という意見が出てきてもおかしくはない。

 なんか酷いなぁ。何の裁量も決定権も無く、ただ従わされるだけの現場にも罪があるとか、責任逃れもいいところ。ちなみにアイヒマンは、裁判だから「仕方なく職務命令に従っただけ」とか言ってるけど、実際には「ユダヤ人を200万殺して、大佐になれるぜ!。これでオレも閣下だ!」とか言いふらしていたらしい。強欲な人間の本音なんてそんなもの。家庭ではいい父親だったとか、いかにも人間性があったかのようなほのめかしがあるが、これ、日本の「自分のイエさえよければ、他人がいくら死のうと苦しもうと大歓迎」ってのと全く同じ。こんなのは社会の害虫でしかないから、昔は一族郎党皆殺しだった。本人が狂っていても、家族がマトモなら本人に働きかけてやめさせるのが筋。人を苦しめ殺して得たモノで、家族が潤っているわけなんだから、そういう狂った行為を監視もしないし止めもしないのなら、そりゃその家族も他人から奪って自分が楽をしようとしているワケだろ。同罪だよ。そして家族も、身内が他人に迷惑をかけたら連座してぶち殺されるのが嫌だから、子供には「人様に迷惑をかけてはいけない」と教え込んでもきたし、身内が他人を困らせることをしようとしたら、それは「恥」だといって、必死に止めた。
 だから、家族というか、親族姻族が、そういう困ったチャンを自分トコで座敷牢に閉じ込めたり、どうにもならない時には自分トコでしめ殺してた。そして迷惑をかけた相手には、「自分トコのバカがご迷惑をおかけして」と頭を下げ、補償もしてきたワケだ。
 だが、現代に至るにつれ、家族が崩壊し、特権階級が政治経済を独占してくると、権力にモノを言わせて身内の犯罪を揉み消してきた。が、特権階級は自分には甘く、自分が見下している他者には厳しい。なにしろ特権階級は報復を権力で止められるのだ。
 これで社会が壊れないわけが無い。教育でも人には迷惑をかけてはいけないって風潮が廃れ、自分の半径50㌢㍍以上には関心が向かない層が増えているらしい。そりゃそうだ。特権階級が政治を独占して自分に有利なシステムにし、経済を独占して私腹を肥やし、司法を独占して好き放題しているワケだ。大人たちのなかに弱者を作り出してスケープゴートにすれば、B層なんかはいとも簡単に真似をする。そして、決して特権階級が罪に問われないような構造にしてきたのだ。いや、もう一歩進んで、そういう事を意識に上らせないようにすらしてきた。
 だから、そういうのが通用しなくなった以上、人間自分のしてきた事に対して真摯に向き合う必要があるのだ。ここで愚か者のしてきた事を見逃すと、また特権階級はみんなが忘れた頃に人を苦しめ、殺しだすぞ。

「裁かれる」のでしょうか。愚かだという罪で。

 愚かなのが罪だとわかってるんじゃん。いや、ホント、裁かれる必要はないのだ。ただ、人を苦しめてきたのであれば、つべこべ言わず、親族姻族もろとも罰せられゝばいいのだ。深く静かに死ね。生き恥を晒すな。